「最も勿体無い女性歌手」と言われたロニーが逝った。

 

 

 

 

姉のエステル・ベネットと従姉妹のネドラ・タリーと一緒に組んだボーカルグループ「ザ・ロネッツ」で、「ビー・マイ・ベイビー」の大ヒットを飛ばす。

ビートルズやローリングストーンズとも交流が深く、

当時ジョンの恋人と思われていた。

その頃ミックの恋人と噂されたマリアンヌ・フェイスフルに似た顔立ちで、ミックがマリアンヌのデビュー曲(涙あふれて)を用意した事からジョンがヴェロニカの為に曲を書くのではないか、と噂されていた。

 

このイギリス的な音楽関係を終わらせたのが当時既に大金持ちとなっていたプロデューサーのフィル・スペクターである。

フィルとの結婚で事実上引退させられたロニーは後に酷い虐待にあっていた事を告白。その内容は聞くに堪へないものだった。

 

 

離婚当時(1972年)に発覚していればフィル・スペクターが後のビートルズやストーンズのプロデュースをする話は実現しなかっただろう。

有刺鉄線と番犬で5年間も大邸宅に幽閉された事で、心に負った傷は生涯癒されず晩年はガンとの闘病生活でその才能を発揮する事なくこの世を去ってしまった。

アレサフランクリンよりも上だったかもしれない、とまで言われた歌の才能を潰したフィルの行動は全て麻薬が原因だった様だ。

フィルといえば唯一出演した映画が「イージーライダー」。

冒頭シーンで麻薬の売人の役を演ったが、そのままの人であったと言う事である。

殺人罪で収監中にコロナで亡くなった様だが、やはり麻薬は人を狂わす。

麻薬で狂った人間の犠牲となったロニーが、もしも普通に成熟した歌手になっていたらその歌声を聴いてみたかった。

今でもそう思う。