studio mutter pilates&yoga のkeikoです。
先日、ロールスクリーンを新調しました⭐️
それで思ったことがあるので、今日はそれを書きます。
自分ネタが殆どです。
むっちゃ長いです。
ご容赦くださいませ。
私、体育大学時代、アルバイトで水泳のコーチをしたことも含めると、26年も身体の動かし方を伝える、という仕事をしています。
平たく言ったらインストラクター歴26年です。
ヨガ歴は、うち10年です。
ふぅ
気が遠くなる。
歳をとるってこういうことなのね(笑)。
幾度も暴走と迷走を繰り返してきました

最初の暴走は、20代後半。社員インストラクターをやめ、フリーのインストラクターになろうと思ったあたり。当時はエアロビクスのインストラクターでした。退職金をエアロビクスインストラクター養成コースに注ぎ込み、先輩方のレッスンを受けまくり、たくさんのオーディションを受けまくり、落ち、凹み、それでも今日もレッスンするのさ、とにかく突っ走るぜオレ、みたいな時代。
そして、フリーのインストラクターの仕事も落ち着いてきたかに思えた頃、迷走期に入ります。
30歳の時にアクアエクササイズのインストラクターも始め、水陸の兼任でした。
その頃何故か猛烈に料理の勉強がしたくなり、クッキングスクールなるものに通いました。
しかし、2回ほど行って思ったのは‥
私が求めているのはもっともっと職人的な料理の世界!
高校時代、もともと栄養学には興味があり、体育大に行くか栄養士になるか迷ったのでした。
それで、服部栄養専門学校の調理師科に通いました。昼はフィットネスクラブでインストラクター、夜は白衣来て日本料理、西洋料理、中華、製菓の実習、食品衛生学、食文化などの座学。
大根の桂剥きの練習で右親指血だらけの時もありました(笑)。
その頃インストラクターとしてもなんだか壁に当たっていて、真剣に転職しようと調理の求人を探す毎日。菓子職人になりたいっ!
インストラクターなんて仕事、もう‥
やめたい

いやだぁ

やめてやるぅぅぅっ

第一迷走期です

いや、もともと身体を動かすのが好きで
料理が大好きで
自然や花が好きで
だからどこに転ぶかだけだった気がします。
お花を仕事にしたい!とフラワーアレンジメントを習いましたし
今は造園業にあこがれてます!
そんなある日、調理師学校の先生が授業でこんなことを話してくれました。
自分の好きな事が出来て
人に喜んでもらえて
そしてお金がいただける‥
それは素晴らしいことだよ。
なんだぁ、だったら私インストラクターでいいんだ!!!
とすっこん何かが落ちました。
そこからは第二暴走&迷走期です。
暴走と迷走が同時なので、毎日わちゃわちゃです。迷走する台風みたいなものです。
フィットネスのインストラクターで、やれるところまでやる!!と。
そんな中でピラティスをかじり、アクアエクササイズの仕事の中でtomokoさんと出会い、ヨガに出会い‥
気がついたらtomokoさんと再会し、寝に帰るだけだった地元吉川でヨガのレッスンやるようになってました。
余談ですが、私がピラティスをほんの一瞬かじったとき教わった先生はtomokoさんの師匠です。
そんなのも偶然過ぎてドキッとしちゃいます。
座って目を閉じて瞑想なんてムリムリと思っていたらいつの間にか瞑想好き
になりました。

瞑想なんて知らなかった時から、暴走と迷走を繰り返しながらも、何かを決断するとき最終的に目を閉じて深呼吸して決断していました。
今思えば瞑想もどきをしていたんだと思います。
ヨガの八支則から言うと、瞑想へ至るステップとして
道徳的な規律を守り実践すること、アーサナ(ポーズ)の練習をすること、呼吸法の練習をすること、意識を内側へ向けること、一点に集中すること、があります。
いま迷走していても、暴走していても
ただこの瞬間に集中して
ポーズの練習をする。
それが瞑想の状態に近づく一歩。
例えばそれがヨガのレッスンではなくて
ピラティスでも
45分、あるいは60分、集中して動けたなら
瞑想の状態に近づきます。
自分の思考に惑わされない状態。
思考は正しく使う。
物事はただある、という状態。
暴走中の方も、迷走中の方も
身体を動かして瞑想へ近づきましょう。