4日目・1
この旅で初のホテル泊のベットの余韻もつかの間。4時には起床して荷物を整理、朝食をホテルのバイキングですませて、まだ暗い中出発です。バスと徒歩で、昨夜祈祷が行われたガートへ向かいます。夜明け前なのに既に人であふれてますねぇ。ここからボートに乗り込みます。


ボートに乗りますと売り子さんが何やらお皿にローソクに火の付いた様なものを持って回ってます。これは日本ではそうね.....灯籠流しみたいなもの。ガンジス河に流してお祈りします。



さて次第に明るくなってきますと、このガート群の規模の大きさが判ります。どこまで続いているのやら.......
祀る神様の違いなど各々多様なガートがあるそうです。日本人の運営するガート(沐浴場そのものと言うか、その後ろにある宿泊施設的な建物ね)もあるし、ヨガ教室的なのとか、オ○ム真理教の教祖が宿泊してたのとか.....様々です。何でもあります。

ここがヨガ教室。これから先生がやって来るのだそうです。
この少し外れた辺りは焼き場になっており、まぁ、連日死体を焼いてます。薪が山積みされており、地面が黒くなってて煙が上がっていればそこがそうです。少し穴を掘って放り込んで焼いて....ここはガンジス河だから多分河に流すのでしょう。特別でもなく何かの作業と同じで丸見えです。でもそのすぐ横の岩場では今日も洗濯屋さんがお洗濯し、沐浴する人は沐浴し、生活は淡々と行われてます。添乗員さんのご好意?もあってボートは焼き場に近づいたのですが、今この瞬間は焼いてなかったです。普通にそのまま上陸も可能とか。本当に何も隠しませんね。隠す必要が無いのだろうと思います。そこで死んで焼かれて河に流されると言う事は、彼らにとってはお祝いにも近い最高の出来事。だから多くのインド人が死に場所としてここを目指して来るのだと。何も恥ずかしくない。不幸ではない。悲しくない。輪廻転生の概念が生々しく生きているきている国だと痛感します。ただし、その場に向けてカメラなどを向けるのはタブーです。マナーと言う以前の問題ですね。
ガンジス河は決して奇麗ではありません。って言うかとても汚いです。沐浴は体を洗うためなどでは無いのがよくわかります。奇麗、汚いは関係無い。神に触れる神聖な信心からくる行為です。心を洗う場所なので、こうまで汚いと私はガンジス河には入れないと思う私は神には触れられませんね。要するに信心です。私にはヒンドゥー教への信心が無いからです。それだけの事です。信心が無くても飛び込む日本人なども居るのでしょうが、さて果たしてそれは沐浴なのか何なのか.......ふぅ~む......

インドは「0」という概念を生み出した国らしく「何も無い」というイメージを「生み出す」と言うのはどういう感覚なのか、ちょっとイメージ出来ません。インド人のガイドさんは言います「信仰心があれば全てがある。信仰心が無ければ何も無い。」.....う~ん.....
話はそれますが宗教対立による戦闘。日本人の私から見ればただ悲惨で宗教心のかけらもない行為にしか見えません。しかし自分の命をも最初から預けてしまっている自分の神の領域が侵されるとなるとどうだろう。と、あれこれ考えてみても私のような安易な仏教徒からするとやはり納得は出来ない。ただ、日本の様に信心が希薄になればなるほど戦争も無く幸せな方向に向かうのだとも思えない。人間が自分の迫り来る「死」を認識してしまっている以上、どう生きようが死ぬという事実だけは皆知っている。それは圧倒的な恐怖である事に間違いない。お金が無い、仕事が無いという生活に直結する不安も最終的にはそれが原因で死ぬかもしれないからだし、病気も老いもそうだろう......ヒンドゥー教や仏教はその根本から生まれたのだと思ってます。輪廻転生。終わらない。生きる不安を捨てさせる1つの大きな道だと思います。
しかし日本に居て私にはあまりに希釈なイメージで、生まれ変わりだ前世は何だ的な話題ばかり。ただここにボートで揺られつつガートを眺めていると、今度はあまりに生々しい姿として当たり前に存在しているという......しばらく整理はつかないですね。当たり前か。
それにしても宗教心は別とすれば貧困層の彼らは今も凄まじく貧困です。幸せか不幸せか知らないけれども貧しいのは事実。今よりもまだまだひどい状態であった頃のマザー・テレサなどの活動は改めて感服致します。彼女はカトリック教会の修道女。宗教対立ではなく、宗教融和ももっともっとあって良いのではなかろうか......誰もが言う「みんな目指す山の頂上は同じ。登る道のりが違うだけで、その1つ1つの道が1つ1つの宗教であり宗派。どの道を行こうとたどり着くのは同じ場所だ」と。そう、人間だもの。
ボートに揺られつつあれこれ考えたなぁ~、まぁ、今までのただの情報のいくつかがダイレクトに視界に入ってきただけの事ですが。良い経験になります。はい。
ボートなら静かにゆっくり....とは行きませんよぉ~?ここはインドですよぉ~、勿論ボートに商品満載の売り子さんがこっちのボートに横付けしてうるさいうるさい。写真撮ろうにも映り込んで相当邪魔なのです。はい。


ボートに乗りますと売り子さんが何やらお皿にローソクに火の付いた様なものを持って回ってます。これは日本ではそうね.....灯籠流しみたいなもの。ガンジス河に流してお祈りします。



さて次第に明るくなってきますと、このガート群の規模の大きさが判ります。どこまで続いているのやら.......
祀る神様の違いなど各々多様なガートがあるそうです。日本人の運営するガート(沐浴場そのものと言うか、その後ろにある宿泊施設的な建物ね)もあるし、ヨガ教室的なのとか、オ○ム真理教の教祖が宿泊してたのとか.....様々です。何でもあります。

ここがヨガ教室。これから先生がやって来るのだそうです。
この少し外れた辺りは焼き場になっており、まぁ、連日死体を焼いてます。薪が山積みされており、地面が黒くなってて煙が上がっていればそこがそうです。少し穴を掘って放り込んで焼いて....ここはガンジス河だから多分河に流すのでしょう。特別でもなく何かの作業と同じで丸見えです。でもそのすぐ横の岩場では今日も洗濯屋さんがお洗濯し、沐浴する人は沐浴し、生活は淡々と行われてます。添乗員さんのご好意?もあってボートは焼き場に近づいたのですが、今この瞬間は焼いてなかったです。普通にそのまま上陸も可能とか。本当に何も隠しませんね。隠す必要が無いのだろうと思います。そこで死んで焼かれて河に流されると言う事は、彼らにとってはお祝いにも近い最高の出来事。だから多くのインド人が死に場所としてここを目指して来るのだと。何も恥ずかしくない。不幸ではない。悲しくない。輪廻転生の概念が生々しく生きているきている国だと痛感します。ただし、その場に向けてカメラなどを向けるのはタブーです。マナーと言う以前の問題ですね。
ガンジス河は決して奇麗ではありません。って言うかとても汚いです。沐浴は体を洗うためなどでは無いのがよくわかります。奇麗、汚いは関係無い。神に触れる神聖な信心からくる行為です。心を洗う場所なので、こうまで汚いと私はガンジス河には入れないと思う私は神には触れられませんね。要するに信心です。私にはヒンドゥー教への信心が無いからです。それだけの事です。信心が無くても飛び込む日本人なども居るのでしょうが、さて果たしてそれは沐浴なのか何なのか.......ふぅ~む......

インドは「0」という概念を生み出した国らしく「何も無い」というイメージを「生み出す」と言うのはどういう感覚なのか、ちょっとイメージ出来ません。インド人のガイドさんは言います「信仰心があれば全てがある。信仰心が無ければ何も無い。」.....う~ん.....
話はそれますが宗教対立による戦闘。日本人の私から見ればただ悲惨で宗教心のかけらもない行為にしか見えません。しかし自分の命をも最初から預けてしまっている自分の神の領域が侵されるとなるとどうだろう。と、あれこれ考えてみても私のような安易な仏教徒からするとやはり納得は出来ない。ただ、日本の様に信心が希薄になればなるほど戦争も無く幸せな方向に向かうのだとも思えない。人間が自分の迫り来る「死」を認識してしまっている以上、どう生きようが死ぬという事実だけは皆知っている。それは圧倒的な恐怖である事に間違いない。お金が無い、仕事が無いという生活に直結する不安も最終的にはそれが原因で死ぬかもしれないからだし、病気も老いもそうだろう......ヒンドゥー教や仏教はその根本から生まれたのだと思ってます。輪廻転生。終わらない。生きる不安を捨てさせる1つの大きな道だと思います。
しかし日本に居て私にはあまりに希釈なイメージで、生まれ変わりだ前世は何だ的な話題ばかり。ただここにボートで揺られつつガートを眺めていると、今度はあまりに生々しい姿として当たり前に存在しているという......しばらく整理はつかないですね。当たり前か。
それにしても宗教心は別とすれば貧困層の彼らは今も凄まじく貧困です。幸せか不幸せか知らないけれども貧しいのは事実。今よりもまだまだひどい状態であった頃のマザー・テレサなどの活動は改めて感服致します。彼女はカトリック教会の修道女。宗教対立ではなく、宗教融和ももっともっとあって良いのではなかろうか......誰もが言う「みんな目指す山の頂上は同じ。登る道のりが違うだけで、その1つ1つの道が1つ1つの宗教であり宗派。どの道を行こうとたどり着くのは同じ場所だ」と。そう、人間だもの。
ボートに揺られつつあれこれ考えたなぁ~、まぁ、今までのただの情報のいくつかがダイレクトに視界に入ってきただけの事ですが。良い経験になります。はい。
ボートなら静かにゆっくり....とは行きませんよぉ~?ここはインドですよぉ~、勿論ボートに商品満載の売り子さんがこっちのボートに横付けしてうるさいうるさい。写真撮ろうにも映り込んで相当邪魔なのです。はい。