2024年を振り返ります。
とても長い文章となります。
2024年1月は、正社員で雇われた営業事務をたった3ヶ月で退職した月でした。退職…と言いますが、逃げたのです。
逃げてしまった理由が明確にあるので、そこからお話をします。
遡ること2019年。
冬のとある日、カフェで働いていた私に、とある会社の社長が声をかけてきました。それは俗に言う"引き抜き"というもので、私はその社長の会社へ1年契約で勤めることになりました。
その会社では、政治家・著名人・ジャーナリストなどとの繋がりが多くあり、名の通った方々が来訪される日などもありました。
その会社では、政治や現代の日本社会について触れることが多く、多くのことを学ばせていただきました。学んでいくと同時に、自分がいかにパッパラパーでお花畑で無知であるかを思い知らされました。頭脳明晰な方々に囲まれる日々の中で、自身の無能さに落胆することばかりでしたが、
知らなかった社会のあり方を知っていくたびに『私が未来の日本を支えなきゃ!』そんな気持ちになっていました。
その後、2020年からコロナ騒動が始まりました。
2019年の時点から"2020年は中国から何かが起きて新しいことが始まる"というような話を頭脳明晰な方々がしていました。なので、騒動が始まった時には『あの人達が言っていたことは本当だ!』と、私は非常にワクワク!ドキドキ!しておりました。
しかし、多くの辻褄の合わない政府の発言に苛立ちを感じる日々が続き『これは結局何が目的なんだ…?』と頭を悩ませもしましたが、9月頃には目的を理解することができました。
…ということからわかるように、私はとても知的好奇心があり、未来にとても興味のある人間でした。私の興味あることや学んだことは、身近なところにいる人からすればぶっ飛んだ話だったでしょう。興味を示してくれる人は1人もいませんでした。
仲間がいれば心強いけど、今はひとりぼっちでもいいから、未来を先読みしてできることをしよう!と決心していました。
そして、2020年の途中からは派遣会社に登録をして、営業事務の仕事を始めました。
営業事務の職場はどこも似たり寄ったりで、共通していたのは、必ず暇つぶしのように仲間を虐める人物が狭い部屋の中にいたことです。(事務の仕事でなくても、多くの企業にそういう人がいるのでしょうけど。)上司やお局の顔色を伺いながら1日を過ごしている人がとても多い、これが現在の日本の社会だと思います。
そんな中でのコロナ騒動。
政府がおかしなルールを国民に押し付けてきては、会社は在宅ワーク・飛沫対策・ワクチン接種などでてんやわんやでした。
わたしはそんな会社のトンチンカンな取り決めに『冷静になって考えてみてよ!おかしくない?』と一人訴えていましたが"確かにおかしいかも"なんて考えてみる心の余裕がある社会人は私の周囲にはいませんでした。
上司に目をつけられないよう、粗探しをされないよう、なるべく目立たないように仕事をすすめる仲間達。しら〜っとした空気の中、寂しく悲しい気持ちになることの多い日々に、正直うんざりしました。
そんな日々を過ごす中でも、常に新しい情報を得るようにしていたのですが、2021年には『自然の中に身を置けば、自然が全て教えてくれるのではないか?』というところに考えが行きつきました。
それからは、日中は仕事をして、朝・夕方・休日は自然に触れることを最優先に考えました。
そうして、2023年になりました。
いつまでもコロナ対策と言ってトンチンカンなことを強制してくる社会から離れることにして、農業に携わる時間を増やそうと思いました。
私の案は、《夫の実家の花の生産を手伝いながら、自分たちの食べる分の野菜を育てながら、夫の扶養に入れてもらって農業に携わるバイトをする!》というものでした。
しかし、この案が全く上手くいかず。。この案のおかげで、2023年は史上最悪な1年を過ごすことになってしまいました。
2023年は、4つの仕事を転々とすることとなりました。
1件目は親族経営の花屋でのバイト。
花の知識を増やしたくて、いつも多くの花を取り揃えている花屋で、実物に触れながら知識を増やせるのは激アツ!という単純な考えで働き始めました。しかし、3ヶ月程度で辞めることとなりました。汚いとか、寒いとか、そういうは承知の上だったけれど、小さな受け入れられないことが積み重なり、要注意顧客の専属担当にされてしまったことにより、その顧客・社長・社長夫人と争ってしまい、辞めてしまいました。
2件目は有名な中古車販売店での営業事務のバイトでした。扶養範囲内での募集で、自宅からも近かったし、とりあえず自然に触れるのは夫の実家で充分だ!と思い、応募することにしました。
しかし、これが史上最悪な場所でした。
2人の女性事務員と1人の女性営業からなる、3人のモンスタートリオがいました。男性営業にデブ!短足!使えねぇなぁ!…などの発言、ゲラゲラ大声で小学生のように騒ぐ3人。酷いハラスメント行為が繰り広げられる日常でした。
ある日、女性事務員から透明人間のように扱われるようになり、頭にきて荷物を全部持って強引に帰りました。辞める手続きをする際には、やられたこと、他の人にやっていたこと、全てを本社に報告しました。
うまくいかないな…自分で仕事を選ぶとまた大失敗するかも…と怖くなっていた私は、登録していた派遣会社に仕事を探してもらうことにしました。
3件目は、昨年まで働いていた企業の、同じビル内にある別企業での営業事務の仕事でした。
新しく知らない人と関係をゼロから作るのはしんどすぎる…と感じていたので、ビルの中に知ってる人がいる安心感で働きに行かせてもらうことにしました。
フルタイムでの募集だったけど、収入が途絶えるのはマズいから一旦扶養から抜けよう…と考えました。
ですが、そこには新人派遣を罵倒して辞めさせるのが趣味のようなモンスターお局がいました。働き始めて1週間程度過ぎたとき、ターゲットの新人派遣が頭ごなしに罵倒されているところに『気分が悪いからやめてくれませんか?』と言ってしまったら、お局を大激怒させてしまいました。それから2週間程度の間には色々あり『こんな腐った会社に力なんか貸したくない!』と、お試し1ヶ月契約で契約終了をお願いしました。
この時点で、相当精神がえぐられていました。
なぜ腐り切った人間が潜んでいる会社ばかりを引き当ててしまうのか…、引き当ててしまう意図がなにかあるのか…?
はやく仕事を探して働かなくてはならないのに、働くのが恐くなっていました。
そして4ヶ所目は、法人化している農家での営業事務でした。
求人を見つけた時は、経験のある営業事務をしながら農業に携われるなんて、この場所で働けたら最高だ!なんて考えていました。わたしのそもそもの目的は"自然から学ぶこと"だったので。
そして面接が終わり、『あなたと一緒に働きたいです!』なんて言われ、涙が溢れてしまいました。『こんなに温かくて優しい微笑みをくれる人達の中で働けるなんて、この会社と出会うために今まで上手くいかなかったんだ!』と、心の底から思いました、が、残念ながら間違いでした。
働き始めると、引っかかる点がポツリポツリと出始めました。馴染もうとしても馴染まない、話をしようとも噛み合わない、わたしが話すとシラける、何言ってんの???みたいな顔で困った人扱いされる。
結局、専務の女性と事務員の女性2人に好かれていなかったようで、2024年年明け早々に2日連続で別室で専務と事務員から『どうしてそんなに仕事ができないの?』という一方的な説教をされました。
『じゃぁ、私にはこの仕事はできないです』
と言った後の
『できねぇ、じゃねぇんだよ!やります、だろ!!』
と机を叩いた女性事務員の暴言、横でニタニタしていた女性専務を許すことはありません。
わたしがそもそもどうしてこの場所にいるのか考えると、それは『自然の中に身をおけば、全て自然が教えてくれる』という言葉から起こした、私の行動でした。
2023年、わたしが出会った人から受け取ったものはハラスメントばかりでした。ストレスの捌け口だったのでしょうか、疲れてしまいました。
そもそも私は社会の役に立ちたくて、私たちの後に活躍する世代に良い環境を残したくて、PCの前で退勤時間を待つだけの死んだような人生じゃなくて、生き生きとした人生にしたくて、自然の中に答えがあるだろう…と手を伸ばしてみただけだったのに。
人に嫌われてばかり。
いつも人から花や太陽のように例えられていたものだから、こんなに人から嫌われたことがなかったから、メンタルが完全にやられました。
ひとりで未来のために!未来のために!とか言って舞い上がって生きてたんだな、恥ずかし。ごめん。
そんな気持ちで、次の日から会社に行けなくなりました。逃げました。
これが逃げた理由です。
それからはしばらく寝込み、2月20日頃。
そろそろ働かないとお金がマズい…。とバイトを探すことに。踏み出すことが怖かったです。なので、また新しく覚えるよりかは経験したことがあって、楽しかったことをやろうと考えました。
そう考えると、一番楽しかったのは珈琲屋さんで働いていた時でした。
そういえば近くに珈琲屋さんあったな…と思い出し、検索をするとアルバイト募集をしていました。でもあそこって車通勤できないよな…と考えていると"車通勤可能"と書いてありました。
怖い人いるかな…、面接で違和感あったら辞めとこう…、と心を奮い立たせて面接を受けました。
結果、3月から珈琲屋さんで働くこととなりました。
それからはとても順調で、今年は100のやりたいことを決めたため、それに沿って行動をしました。
小さな嫌なことはあったけれど、大きな嬉しいことの方が断然多く、幸せたくさんの2024年を過ごすことができました。
個展を開いたり、仲間と呼べる人達ができたし、何よりのびっくりはミスチルメンバーに絵を観てもらえたことです!
会いたい人に会えたし、やりたいことができたし、思わぬサプライズがあったり、幸せいっぱいの2024年でした。
結局、頭でっかちになりすぎていただけなのかもしれません。自然とは、もしかしたり私にとっては"自然体"のことだったのかもしれません。
社会の変化に振り回されないよう、情報を追って、未来の日本を背負って下の世代を支えられる大人にならないと…!!そんな思いがとても強かったですが、私がまず大切にすべきだったのは、自然体な自分だったのかもしれません。
もちろん今だってその熱い気持ちは胸にあるけれど、まずは目の前にいる人を大切にすることからだな!と、落ち着いた気持ちで過ごせています。
目の前にいる家族・人生の先輩・人生の後輩・友達・仲間、その人たちが困らないように支えたい!と大切に思えているのなら、未来をきちんと想えているということと変わりなく、これで二重丸◎かな、と。
2023年が史上最悪な1年だった分、2024年がよく見え過ぎているだけかもしれないけど"生きててよかったな。"そんな風に思えた1年でした。
2025年も楽しみです!!
では、また。
みいけ
※急いで書いたので、変な文章があれば、後々修正します。