3月のボイストレーニングに行った。

 

今回はピアノ伴奏者ありで練習した。

伴奏者ありのほうが断然いいな。

生のピアノで歌うって、なんて贅沢なんだろう!

 

 

「アヴェ・マリア」を集中的に練習した。

この歌がこんなに難しいとは・・・

日本の曲、2曲はハモるようになってきたけど。

「イエスタデイ」も、アヴェ・マリアほどの息の流れを要求されないので、よくなってきたけど。

 

「アヴェ・マリア」は、ピアノの音をよく聞いて歌う練習をした。

この曲はピアノは伴奏ではなくて、歌とピアノが同等だと言われた。

なるほど。

確かにバッハのプレリュード「平均律1番」はピアノ曲として成り立っている。

そこに、100年後に、グノーが歌のメロディをのせた。

なので、ピアノの奏でる和音(分散和音になっているけど)をよく聞いて、次に来る和音を予想して、その中で歌うようにということだった。

自分の音程を歌うというより、和音の中でインターヴァルで音をとっていく感じ。

ド・ミ・ソと音をとるのではなく、ドが鳴ったら、3度上、5度上をとる。

 

 

そして「歌は母音、声は母音」だそうだ。

「母音で歌って、それに父音で表情がつくだけ。」

えっ???!!!

 

それで、母音だけで歌う練習もした。

そこに父音をのせる。

日本語は母音と父音が一つになってしまっているので、こういう歌い方はしない、

というか、できないという。

 

母音は息の流れ。

流れである以上、途切れてはならない。

休符がないところでは、父音のところで息が途切れるので、吸うこと、カンニングブレスができるという。

 

私たちにとっては、今までやったころのない曲「アヴェ・マリア」は非常にいい勉強になるそうだ。

 

 

帰り道、ピアニストの友人に聞いたのだけど、劇団四季も母音法で練習しているのだそうだ。

うちへ帰って、その様子をYOUTUBEを見た。

なるほど。

 

 

声は、意識のおき方で、繊細に変化する。

以前に、お腹にばかり集中していたら、響きが足らないと言われ、響きの練習、頭部を使うことを集中して練習した。

今回、またお腹に集中しても、響きの集中練習をやる前とは違って、響きはなくならないということを感じた。

こういうのをカラダに入ったというのかな。

 

多分、まずお腹を使って息で歌う練習をやって、それがある程度できたとき、頭部、響きの練習をした。

ある程度、響きがあるようになった。

それで、今度はさらにお腹の練習をするということだろう。

 

先生からは「次の段階へ行かなくちゃ。」って言われている。

先生の言葉は、とても大事で、言葉の表面の意味は、聞いたときにわかる。

でもカラダでできていないことは、本当にはわからないのだ。

聞いたときから、ずーーーっと未来のことかもしれないけど、カラダがわかったときに、あっ、こういうことだったんだって、やっとわかる。

 

今の私は、息は送れて流れているけど、キープ力が弱いということのようである。

どういう意識のおき方をするとキープできるかのヒント、身体感覚が今回のレッスンの中でつかめた。

めちゃ、うれしい!

 

 

「アヴェ・マリア」の練習は難しいけど、めちゃ楽しくもあるのだ。

新しいことを教えていただけるということがすごい喜びになっている。

歌を基礎から学ぶという学校のようなレッスンではないから、すべてを教えてもらえるということはないから。

 

そして、声は一瞬にして変わる。

「アヴェ・マリア」の練習は、それがよくわかるから、おもしろい。

 

 

伴奏者が、自宅で録音して、ピアノ伴奏をデータで送ってくれた。

なんてありがたいことだ!感謝!!

それをよく聞こう。

実際にピアノが鳴っていなくても、頭の中ではピアノの音が鳴るくらいまでよく聞きたいと思う。