「心を開く」とは、よーく聞く言葉である。

わかるような、わからないような言葉だとずっと思っていた。(私だけか?)

「心を開く」って、世界に対する共感なのではないかな。

この世でおきるすべてのことを受け入れて、よし、とすることなんだ。

何がおきても、それでよし。

よいか悪いか、
損か得か、
意味があるかないか、
2つのうち、どちらが正しいか、

って考えない、判断しない。


かの有名なゲーテも言ってる。

感覚はぜったいに過たない。
判断が過つ。


感覚は判断しないから、過たない。
判断を超えたところに人間を持って行く力がある。


心が開いてくると、すなわち、世界に対して共感できてくると、やりたいことが実現したり、なんか不思議な感じがするのだ。

やってることがやりたいことになっていると言ったらいいかな。
何のために生まれてきたかとか、自ずとわかるようになる感じがする。

人って、何をやっててもいいのである。
自分で、自分のやりたいことをやってるっていう感覚があれば、いいのではないかと思う。
私の場合は、そうである。

自ずとわかるのを楽しみにして、私の場合は、呼吸法やオイリュトミーをやるのである。
呼吸法やオイリュトミーは未来の感覚を完成させるための訓練になる。
その感覚はぜったいに過たないのである。

心が閉じて、自分の人生に共感できず、考えてばかりいると、迷う。
なぜなら、判断は過つからである。

ならばといって、心だけを開こうとがんばってみても難しいのである。