ミュージシャンとしての意識の高さ。


この部分について、己の甘さを痛感する程のショックを受けた。

清野拓巳という人。

例えて言うなら、


「自分に足りないものをたくさん持っている人」ではなく、

「自分の持っているもの全てを凌駕している人」である。


10年ほど前に一度共演させて頂いた事があった。

まだジャズについて何も知らない、しかも人としての懐の深さすら持ち得ない「呉下の阿蒙」に、演奏で本当に多くのことを教授する氏の心意気を肌で感じていた。

しかしその時はまだ、その事の価値の十分の一でさえ受け入れる事が出来なかったように思う。


そして私の音大在学中・更に卒業後、対バンにて何度か顔を合わせる機会を経て、去る10日に本当に久しぶりに再び共演する幸運に恵まれた。

しかも氏のグループにゲストという形で。

再び氏と音を合わせる事で、その当時では全く感じ得なかったより多くの事象が鮮明に見えるようになっている自分に気付かされる。

氏へのリスペクトは益々深まる。

もはやミュージシャンとしてではない。


一芸術家として。


プレイも然ることながら、書く曲・書く譜面・書く文章・選ぶ言葉・遊ばせる筆。

その全てに「心」を感じる。

私のいるステージを一つも二つも引き上げ、新に見える景色の一部を切り取って、両手で手渡ししてくれているような感覚。



久しぶりに、10年分の宿題を授かった瞬間。