久しぶりのブログで何ですが、少し真面目に音楽の話をしたいと思います。

昨日(今朝)、我が兄貴分にして京都ジャズサックス界の"エース"井上氏と久しぶりにジャズに関してあれやこれやと語る機会がありました。

その時に話題になったのが

「音の速さ」

いわゆる音速や響き云々ということではなく、よりシンプルに「タイミング」について。

自分以外の音をどのように聴けているかという部分で、聊かの誤解がシーンに蔓延(はびこ)っていると感じておられるようでした。

自分以外の音を聴こうという意識があからさまに低いプレイヤーはさておき、その意識をどのレベルで自分の演奏とのバランスを取ろうとするかに問題があるプレイヤーが多いのではないかと指摘されてました。

その中で、

「特にドラムという楽器に関して"聴きすぎる"プレイヤーが多い。アドリブ主体のジャズという音楽において、ソリストの行き先やアンサンブルワークに気を遣う余り自分の仕事が後手にまわっている。ドラムが無くてもベースやピアノがいる限りスィングは可能である。であれば、ドラムとはどういう事を本来の目的としてジャズ音楽に取り入れられたのかをもう少し実感として知っておく必要がある」

と仰ってました。

「ドラムが無くても落ち着いたスィングは出せる。ドラムは"Push"を仕掛けて大きな効率を得られる楽器。ソリストに空気を送ってやるという意味で、反応することばかりに気を取られずにもっと積極的な鼓舞を試み会話(演奏)を盛り上げるべきだ」

という部分を強調されていました。

この理論で行くと、確かにソリストとドラマーの間で「音の速さ」に時差が生まれるのは好ましくない。

「聴く」という姿勢が一瞬の間や躊躇いを生み出し、一体感を損ねてしまうからだ。

個々により演奏スタイルや会話方法での違いはあれど、ソリストに対して愛情やリスペクトがあるならばそれを姿勢で返すのではなく音で返すという習慣を、「儀を重んじる」我々日本人は特に意識し身に付けなければならない。

もちろんこの話はドラマーに限ったことではない。

その場で音を出している全てのプレイヤーが共通の意識を持っていることではじめて、「全員が基本ビートより前で」演奏することですら可能になるだろう。

尤も、その場に生まれつつある空気がそれを促していればの話である。

細かいズレやミスなどモノともしない説得力が、そこに生まれてくるはずだ。

表現者たるもの、如何なる場合においても「受身のプレイ」をするべきではないという認識を深める機会になりました。