おはようございます。

 

皆さんは人生のなかで

どの人との出会いを、記憶していますか?

 

人生はたくさんの人との出会いで

成り立っています。

これまでわたしも、

両親、祖父母、友人、

近所のお寺じいちゃん、お寺ばあちゃん。

友人、ピアノの先生、書道の先生、

ダンスの先生、憧れの美しすぎる先輩・・。

 

振り返るといくらでもでてくる、

たくさんの、ひととの出会い。

 

そのなかで、

あなたの奥底を支えてくれているひとは、

誰ですか?

 

それがわたしは実は、

高校生のとき毎日通った、

東〇衛星予備校の先生なんですよね。

 

両親でもなく、こうして携わっている

書道を指導してくれた先生でもなく。

 

わたしは、そこそこきっちりしたうちで

育ちました。

人参をぶらさげてくれるのが

とても上手な母で、

『おぉ!すごい!次は何位以内に入ろう✨』

そう、拍手を送ってもらいながら、

わたしはゲームみたいな感覚で、

お勉強やらピアノやら、水泳に書道・・

多くを上達させていった。

おかげで、なんでもそこそこ、

周りよりもできる子だったように思う。

 

でも、一長一短というか、ですね。

いつも

『次は・・✨』

『おぉ!おしい✨』

と言われ、

私は果たしていつになったら

褒められるんだろう・・

そんな風に感じていた。

 

そんなときに通うことになった予備校です。

先生は少し、いや結構ハゲていて(笑)、

髪がもじゃもじゃしていて、

それでいてとんでもなく陽気なおじさんだった。

友達の延長みたいな、ちょっとふざけたひとで、

先生の周りにはいつも、

ちょっとやんちゃな男子も、

わたしたち年頃の女子も、

たくさんの生徒が集まっていた。

 

その先生が、ね。

めちゃめちゃ褒めてくれたわけです。

『かおりさん!君はなんて素晴らしい発想力が!』

『かおりさん!君は賢いね!絶対大物になる!』

いつもと変わらず陽気なムードで、

目をきらきらさせて(あ、おっちゃんがね。笑)、

いつもいつも褒めてくれたんです。

 

人生にふわーっと心地好くて甘やかな風を

吹き込んでくれたのが、

そんな、中年の、はげたくるくるヘアーの

おっちゃん(さんざんですね。笑。)だとは

なんだか我ながら笑える話ですが、

本当に、あの頃が大きな、大きなタイミング。

 

言葉のシャワーというのは、

良くも悪くもひとを浴びさせる。

冷たく冷え込んでしまったり、

熱すぎてカラスの行水みたいになったり、

そしてときに、

ほかほか、あったかくなったり。

湯上りすら、ほかほか・・。

 

これだから、

どんなシャワーを浴びるのかが

大切なのだ。

 

立場が遠い人だろうと、

その人を、とてつもなくいい方向へ

後押ししてくれたりすることが、

人生にはあるのだ。

 

実際わたしだって、

そんなハゲたくるくるヘアーの

おっちゃん(ごめんなさい。笑)に、

わたしという人丸ごと肯定され、

花丸をもらい続け、

背中を押され、広い世界へ飛び出したのだ。

 

どの出会いが、

そのひとにとって、自分にとって、

愛する我が子にとって、

突破口となるかわからない。

 

だからこそ我が子にも、

より多くの人に出会わせ、

そしてそのひとはなるべく、

ポジティブで面白くて、

何かに卓越した素敵な人がいいと願う。

 

母とは違う目線で、

我が子をとらえ、

母からは見えない素晴らしいところも、

見つけだして称えてくれる。

 

案外、一生懸命育てている母親だけでは、

柔軟に見てやることも、

ゆるめてあげることも、

行き届かなかったりするのだ。

なにせ、一生懸命とゆるさは、反対だから。

 

それを、わたしもわかっている。

だから、第三者に託すのだ。

なるべく、母親とは違うタイプの。

子供たちは、

出会う大先人から、何を学ぶだろう。

何を想うだろう。

 

『こうなりたい』

『こうはなりたくない』

『届かない』

『届きたい』

『こんなひとが、褒めてくれるわたし』

『こんなかっこいいひとが、

 頭をなでてくれる、ぼく』

 

ひととの出会いは宝物だー。

 

モノよりなにより、

こころのずっと残るのだ。

 

そんな想いがあるから、

わたしはお子様に書道を通して

関わる道を選んだのかもしれない。

ずっと作品をつくる側にいてもいい。

だけど、

あえてお子様に伝える側をやるというのは、

私自身が、そのむかし、

母が出会わせてくれた大先人から、

称えられ、自分の可能性を受け取り、

より未来を広く大きく描くことを、

教わったからだろう。

 

わたしも、だれかの、

突破口となれたなら。

幼い誰かに、あったかいシャワーを

かけてあげられたら、

なんというか、与えてもらった、

嬉しい種、みたいなものを、

次へ繋いでいけるような気がしている。

 

『かしこいね♡』

『偉すぎるでしょ♡』

『素敵ね♡』

『天才か!!』

 

陽気で、あたたかくて、

嬉しいシャワーを、

たくさんかけてあげたい。

その横に、書道がある。

 

わたしのなかでは、

シャワータイムが主役で、

ついでに字もうまくなろうよ?

姿勢だって良くなろうよ?

ご挨拶も、お辞儀も、かっこよくしようよ?

だって、

そんなきみ、最高じゃん?♡

 

そう思って、向き合っている。

 

だから、

真面目になんかやらない。

黙ってなんてやらない。

いつかの予備校の、

ハゲたもじゃもじゃヘアーの先生のように、

たくさんのお子ちゃまと、

わいわい、笑いながら、

未来をうきうき共に描きたい。

 

 

こんな風に思えるようになったのは、

もとはひととの出会いを与えてくれた

母であり、

そして、出会ってくれたたくさんの

先人たち。

 

どうか、

うちの愛する子供たちも、

世の中のお母様の愛するお子様も、

素敵な出会いをたくさんして、

こころの栄養を、

こころの宝物を、

たくさん抱えて歩んでいってほしい。

 

こころよりそう願っております♡

 

ではでは♡