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映像クリエイターがフリーランスになるまで

地方の映像クリエイターが独立しフリーランスになるまで
そしてその訳を気ままに書いて行こうと思います

ブログの本題から外れてしまいますがブログでしか書けないことなので書かせて下さい。

先日、2016年4月15日(金)父から突然電話があった。

父「おお、元気か?今電話大丈夫か?」

何の気もなく「どうしたの?何かあった?」って聞き返した。

実は父は昨年から大腸の調子が思わしくなく、便が出にくいとかって話をしてたんだ。

でも、具合も良くなってきているし仕事も定年を迎え延長雇用も終わり

ストレスもなく生活していたから病院にはいきつつも

病状は回復していると思ってた。

そして父が
「実は大腸の調子が良くなくて、大腸の一部が萎縮してしまっている。
 そして、一部に穴が開いてて人口肛門をしなきいけないことになったんだ」

との事だった。

「うん、うん」

と話を聞いていた自分は何が何だか良くわからなかった。

どういうこと?それってどのくらい重病なんだ?

さらに
「手術をしてみないとわからないんだけど内臓を覆ってる腹膜との癒着があるみたいで
 それがもしかすると癌化しているかもしれないから、そうなるとどうなるかわからない・・・」

ちょっと待ってくれ




癌ってどういうこと?

自分の父が癌になるって・・・

その時点で感情を抑えきれなくなくなってきていたけど
「でも、大丈夫だよ!父さんは心筋梗塞やった時も生きて帰ってきたじゃん!
 今回だって大丈夫だよ!」

それしか言えなかった。

父は自分が小学生の時に心筋梗塞で倒れた。

父と自分で近所の家での集まりに行って、家に帰ってきたら具合が悪くなって

母が急いで近くの総合病院に運んだ。

そこで一命は取り留めたが心臓のバイパス手術をしなければならないことになって

松戸の病院に転院して、そこで改めて手術をすることになった。

無事に手術は成功したが、後で聞かされた話で

「お父さんその気に心臓が2回止まったんだよ。よく覚えてないけど三途の川が見えたけど
 神様にまだお前は来るなって言われた気がして生き返った」

なんて笑いながら話ししてた。

その後一年ぐらい入院して退院して仕事にも復帰して

家がある茨城のつくばから東京の中野坂上まで毎日2時間近くかけて通勤してた。

家族のために毎日そうやって働いてきたんだ。

真面目に真面目に働いてきたのに

なんで父が・・・

ようやく定年して余生をのんびり過ごさせてあげられると思ってたのに

自分も結婚して孫も二人見せてあげられることができて

少しずつだけど親孝行をしていきたいと思ってた

そんな思いで
「孫の運動会とか成人式だって見て欲しいし
 最近結婚した二人の妹の孫だって、まだ見れてないでしょ!
 絶対大丈夫だよ!」

って必死に願うように言った。

父も
「そうだよな。俺も成人式とか成長見守りたいよ。
 孫ももっと見たいよな。」

って少し弱い声で返してきた。

震える声で
「うん。大丈夫。大丈夫。」

父も
「俺は悪運強いからな!はっはっはっ」

って笑って言った。


そして、
2016年4月21日に手術があることを伝えられた。


その後、兄妹から父の顔がリンパにも転移していること

癌の進行がステージ3だということを知らされた。



明日5時間に及ぶ手術が行われ、大体の病状が把握できると思う。

ただただ願うだけです。

父が元気に笑って過ごせる平穏な日々を・・・