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映像クリエイターがフリーランスになるまで

地方の映像クリエイターが独立しフリーランスになるまで
そしてその訳を気ままに書いて行こうと思います

前日は早く寝て、7時には起き支度をした。

子供を連れて近所の神社に行って父の手術の無事と

病状の平癒のお守りを買って病院に向かいました。

手術の開始予定時刻が13:00からだったので11:30には

着く予定だったのですが、11:00には着いて父のいる

病棟へ向かいました。

待合室で待っていると父が点滴を打ってこちらに向かってきます。

孫達を見て笑顔になっていましたが

どこか不安げな、そんな表情でした。

父にお守りと子供が神社で拾った葉っぱを渡し

父は嬉しそうに笑っていました。

それから、改めて父の今の病状や入院して同じ大腸癌で苦しんでいる

病室の仲間から励まされて落ち着いたこと

人口肛門をつけるとゴルフが出来なくなることが嫌だと言った話。

それがあるから先週ゴルフ仲間とラウンドしてきたって話。

こんなに元気なのになぁ~って本当思った。

一番嬉しそうだったのが

孫を呼んで、自分と妻、じぃじ誰のところに来るか?

っていう遊びをしたらじぃじのところに嬉しそうに抱きつきに行ったことでした。

その後も兄妹が来てから一番にそのことの自慢をしてた。


13:00になり父が面会室を出て準備に向かい
程なくして準備が終わり手術に向かう途中のエレベータの前でみんなで頑張れって励ました。

自分も父に手を出し強く握って頑張ってって一言だけ言った。

予定では3時間から5時間の予定で夕方までかかる予定。

お昼も食べてなかったので家族でお昼に出て1時間ほどして

食事を終えて戻る頃には雨が降り始めていました。

15:00には病院には病院に戻っていましたが

何もせず待っているだけでは落ち着かないので

外で煙草を吸い、2本目の途中で母から電話がかかってきました。

「お父さんの手術が終わったから戻って来な」

「えっ?早くない?どういうこと?」

そんなリアクションでした。

実際に始まってから麻酔や準備を考えると1時間程度しかありません。

前に聞いた話でお腹を開いて他への転移や手の施しようがない状態だと

手をつけないでそのまま閉じるという話なども聞いていたので

早く手術が終わることはあまり考えたくないことでした。

そして、一先ず最初の待合室に移動し、そこから手術室の方へ向かいました。

入り口に案内され、扉の向こうからドクターが軽く会釈をして

落ち着いた表情でいらっしゃいました。

母も思いの外早く終わったことが心配で

「大丈夫でした?どうでした?」と先に聞いていました。

すると先生が
「思ったより、前回の心臓のバイパス手術の血管回りの癒着もなく
 お腹の中が綺麗でとてもスムーズで、無事に人口肛門もつけられました。
 現段階の手術では最善の方法、状態なので良かったです」

 との話で家族全員ホッと胸を撫で下ろしました。

「しかし、これから大腸癌自体の抗がん剤治療が始まるので
 それの様子を見ながら手術をして、癌を切除していくような形になるので
 長い戦いになると思います」

という事でした。


それから1時間ほどしてICU(集中治療室)に移動し
父との対面です。

酸素マスクや見た事もない数の線で繋がれて、意識が虚ろな父を見て

安心して泣きそうになりましたが、家族がいたのでこらえて

一番端の席に座りました。

みんなで「頑張ったね。本当綺麗で殆ど出血もしなかったから良かったよ」と

さっき先生から聞いた情報を事細かに説明してた。

もうそれぐらいしか話すことなんてなくて

みんな、ただ「良かった」ってことしかその時は考えてなかったと思う。

自分も少し小さく見える父を見て「お疲れ様。頑張ったね」って恥ずかしいけど

父に触れたくて頭を撫でた。

これから、抗がん剤治療が始まります。

1年後に元気にゴルフが出来るように家族で頑張ろう!