「マーヴィン・ゲイ」 その3

 

 

少し遠回りして、モータウンの話からしたいと思います。

マーヴィンが大傑作「What's Going On」を制作できたのも、やはりモータウンという活躍の場があったからこそだとは思うからです。

 

モータウン・レコードは ベリー・ゴーディJr.が1960年に設立したレコード会社です。

スモーキー・ロビンソンやテンプテーションズ、スプリームス(ダイアナ・ロス)、フォー・トップス、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン・ファイブ(マイケル・ジャクソン)といった錚々たる面々が所属していました。

 

ソウルミュージックというと、モータウンを想像するかと思いますが、実際は他のレーベルにも、サム・クックやカーティス・メイフィールドなど、様々な歌手がいます。

モータウンは、非常に成功したレーベルではありますが、デトロイト発祥の一つのレーベルと考えた方が正しいのかもしれません。K-POPのように、売れる路線を徹底的に追求したと言う面では、特出しているのだろうと思います。

 

さて、ソロシンガーとして成功したマーヴィン・ゲイでしたが、同時期に様々な歌手とデュエットします。

中でもタミー・テレルとは相性が良かったようです。有名な「Ain’t No Mountain High Enough」では、本当に恋しているようなマーヴィンの歌声が聞こえてきます。

 

しかしこの頃、マーヴィンは結婚しています。(1963年から社長ベリー・ゴーディJr.の姉アンナ・ゴーディと)

実は、アンナはゴーディよりも手腕があったようで、先にアンナ・レコードというレーベルを作っていて、それがモータウンの見本になっています。

アンナはマーヴィンの17歳上。後々マーヴィンはアンナに向けてとんでもないアルバムを発表することになりますが、それは後ほど。

 

マーヴィンの家庭は父母と姉、マーヴィン、弟、妹の6人家族です。

父は、教会の牧師でありながら、女装趣味のある人で、いつもマーヴィンに暴力を振るっていたそうです。

母親には「あいつは俺の子でもなければ、お前の子でもない」とスピリチュアルなことをいうヤバイ人だったようです(最後はマーヴィンを撃ち殺してしまいます)。

そんな家庭から脱出したかったのか、当時憧れていたハーヴェイ・フークワというR&Bシンガーに弟子入りします。というか、聞いてくれと懇願してきたマーヴィンとその友人たちの歌声を聴き、直後フークワは自分のバンドを解散し、マーヴィンたちとバンドを組み直します。

右端がフークワ(マーヴィンと出会い解散する前のムーングロウズ)

 

そして、フークワとベリーのもう一人の姉グェン・ゴーディとの交際をきっかけに、マーヴィンはアンナと知り合い、結果的にモータウンに移籍、結婚までしてしまいます。

二人の結婚生活まではわかりませんが、マーヴィンが次々とシングルをヒットさせていった背景には、社長の姉である妻アンナの手腕があったのかもしれません。

 

 

そして1967年、最高のデュエットパートナーとなっていたタミー・テレルとのアメリカツアーを敢行中、とても不幸な事件が起こります。

コンサート中にステージ上でタミーはマーヴィンにもたれかかり、意識を失ってしまいます。

病院での検査結果は、悪性の脳腫瘍。

その後、一旦は復帰し、「Ain’t Nothing Like The Real Thing」などのヒット曲をマーヴィンと歌いますが、結局は24際の若さでこの世を去ります。

 

最愛のデュエットパートナーを失ってしまったことに対するマーヴィン・ゲイの失意は激しく、自殺未遂を起こし、ゴーディJr.の父親に助けられたとも言われています。

 

二人の歌声がとても楽しい曲ばかりなので、今聞くと複雑な気持ちになりますが、「Ain’t No Mountain High Enough」はその後、様々な歌手にカバーされる名曲です。

ダイアナ・ロスが初めて出したソロアルバムのタイトルがこの曲名だったので、ダイアナ・ロスをイメージする人が多いかもしれませんが、マーヴィンとテレル版が本家です。

 

そういえば、先月ダイアナ・ロスの曲でエンドロールをご希望のお客様がいらっしゃいました。

「If We Hold On Together」

今井美樹主演の1990年のドラマ「思い出にかわるまで」の主題歌です。

姉の婚約相手(石田純一)に恋してしまう妹を演じた松下由樹と、変なおじさんを演じた財津和夫が良かったですね。(つづく)