N響新シーズンの幕開け、ルイージが選んだのは、生誕200年を迎えたブルックナーの交響曲第八番の初稿。N響は、サヴァリッシュ、朝比奈隆らとこの八番で、名演を残してきたが、初稿を演奏するのは今回が初めてだそう。

 

実は、私が今年のコンサートで最も心うたれた演奏が、2月に行われた高関さん指揮の静響による同曲で、初めて実演で聴いて、大変興奮した。その時は、ハース版であったため、初稿版の演奏を心待ちにしていた。

 

今回の初稿版は演奏に約90分を要し、他版と比べても更に長い。今回の演奏は、重くどっしりとした演奏というよりは、全体を通して快活に進んだ印象を受けた。しかし、それはテンポが早かったのかと問われれば、確かに4楽章は少し早い印象を受けたが、不自然な早さには聞こえなかった。

 

1、2楽章も印象深いが、好きな3楽章と4楽章について記したい。初稿の3楽章をルイージは「完璧に書かれた、音楽史上もっとも偉大な作品の一つ」と評価しているらしい。3楽章の序盤で奏でられる、弦楽器の上行に導かれ、ハープのアルペジオが奏でられる瞬間は、いつ聴いても美しい。他の作品でも琴線に触れる瞬間は何度も経験してきたが、ブル8の美しさはなんと形容すれば良いのだろうか。人智を超えた世界、キリスト教信者ではないものの、神は存在するのだと感じさせる、ブルックナーは熱心な信者だったんだと改めて思わせてくれるそんな印象を持つ。3楽章では、ルイージも格別の思いを持ちながら振っていた印象を受け、ゆっくりとした足取りで進んでいく。しかし、その足取りは決して重い訳ではなく、一歩一歩確かめながら歩いている印象。静と動という対比がよくあらわれていた演奏だと感じた。

 

対照的に4楽章は、歩みが軽くなり、推進力が増した演奏。金管郡のファンファーレも、力強さというよりは、輝かしさを強調した演奏に感じた。楽章全体が、軽快に進むため、2月に聴いた高関のブル8とはかなり異なった印象を受けた。プログラムによると、4楽章の冒頭は、オーストリアとロシアの両皇帝の会談の際に騎行するコサックを表しているとブルックナーは、弟子に語ったようである。なるほど、そう考えるとこの冒頭に軽快さを感じたのも頷ける。最後の三音、通称「ミレド」も軽快さを保ちながら、奏でられた。ここの箇所は指揮者により、解釈が異なるが、あっさりとどっしりの丁度中間のような演奏だった。

 

初稿版を聴いて、他の版よりもより鮮明に浮かび上がったブルックナーの想いを感じることができ、大変興味深い演奏だった。しかし、どうしても他版以上に長い箇所に意義を感じることができない想いもある。

 

よりルイージとの関係が深まったN響の新たなシーズンに期待が膨らんだ演奏会であった。