いま、、鞘ヶ谷寮は、耐震補強工事がおこなわれている。古い建物だから、地震に耐えられない建物だったのです。
 太い鉄骨をギビスのような梁をいれての補強工事です。
 競技場の横に鞘ヶ谷寮がある。スポーツ選手、単身赴任者が寮に大勢入っていた。 八幡製鉄所は、大谷野球場、大谷武道場、大谷プール、鞘ヶ谷競技場を所有するぼど、スポーツ選手を特待社員として雇用し、オリンピック出場する選手を輩出していた。社員はピーク4万人か、住金小倉と合わせて4000人に激減している。野球、サッカー、水泳、柔道、剣道などの部は、同好会で運営している。
 八幡製鉄所は鞘ヶ谷競技場は2002年、大谷球場は2004年に北九州市に施設所有権を譲って今日に至る。
  
 北九州市鞘ヶ谷競技場は、八幡製鉄所の陸上競技場として、戦前1940年2月竣工した。鞘ヶ谷から高見社宅一帯の地域の広大土地は製鉄所所有に拡大していくのです。
 1937年7月蘆溝橋事件で日中全面戦争突入、1938年東京オリンピック返上、国家総動員法公布した年1938に競技場建設を着工し、社員の無償奉仕で競技場をつくる。競技場が1940年2月竣工した。この年の1940年9月27日 日独伊三国軍事同盟成立する。戦意高揚として「鉄は国家なり」の象徴として、鞘ヶ谷競技場を建設したのではないかと想像します。当時はオリンピック公式陸上競技場としての仕様では、県内で唯一の陸上競技場だったと聞く。 
 
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鞘ヶ谷寮 2015/9/5撮影 

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鞘ヶ谷競技場にある八幡製鐵の記念プレート、