昨年将棋界の至宝、藤井聡太八冠王が、
弱冠20歳11ヶ月、史上最年少で名人を獲得しました。4月からまた名人戦が始まります。

最年少名人がいれば、最年長名人もいます。その将棋棋士のことを書いた私の文章です。

書いたのは2006年1月13日。
私のホームページに掲載しています。私のお気に入りで、このAmebaブログでもぜひ紹介したい。

亡くなられた米長邦雄永世棋聖は、当時将棋連盟の会長をされていました。では、


『バンビーノの呪い』というメジャーリーグの逸話をご存知でしょうか?

レッドソックスが1918年を最後に、86年間も世界一になれなかったのは、ベ―ブ・ルースが、レッドソックスからヤンキースに金銭トレードされたことが原因というお話。

逆にヤンキースは、ベーブ・ルースの活躍で黄金時代を築きました。

ちなみにバンビーノとは男の子という意味で、童顔だったベ―ブ・ルースの愛称です。

*ついでにベ―ブも同様の愛称。

将棋の話をしましょう。
将棋の歴代名人の中で、最も苦労した棋士と云えば、米長邦雄永世棋聖が有名です。

1976年の初挑戦から6回挑戦も失敗。
7度目の挑戦で1993年に、名人になられたことは、将棋ファンなら誰でも知る話です。

49歳11ヶ月の最年長で名人になる。

米長永世棋聖が名人になるのに苦労したのは、同時代に中原誠永世十段、そして1983年に21歳で最年少名人となった谷川浩二九段の存在が、大きな壁になったからだと思います。

*当時の敬称です。現在は中原誠十六世名人に谷川浩司十七世名人となられています。

でも私は別の視点から考えてみました。

去年(2005年)の今頃だったと思います。
NHKのBS2で、神吉宏充六段司会の将棋の番組があり、いろいろと将棋に関する企画満載で楽しく拝見しました。

*現在は神吉宏充七段

神吉六段云わく、
「この番組のコンセプトは『将棋のプロ棋士を困らせたい』です。私も一応プロなんだけどね」
という言葉が印象的でした。

米長永世棋聖も『初代はさみ将棋王』として番組に出演されていました。

その米長永世棋聖登場の後、
プロ棋士の公式戦での反則例を紹介するコーナーがあり、米長永世棋聖が『二歩』をしたことを知りびっくりしました。

それも1973年のこと。
この時米長永世棋聖はA級3年目。初タイトルの棋聖位を獲得した年だったからです。

神吉六段も二歩をしたことがあるそうで、この少し前に、神吉六段がCSの囲碁将棋チャンネルの『将棋まるごと90分』という番組で、

谷川浩司九段に、どうして反則しないのか?と聞いたら「プロですから」と一喝されたというエピソードを話していたのを思いだして、

米長永世棋聖にこの話をしないかな?
とハラハラしていたのを覚えています。絶対にそんなことするわけないですけど。

ここで私はふと思いました。

もしかしたらこの二歩が、米長永世棋聖が名人になるのに苦労した原因かもしれないと…
もし『将棋の神様』がいたとして、
タイトル獲得19期、四冠王にもなられ実力は十分名人。だけれど、二歩をした者を将棋の名人にはさせられないと思ったのではないか?なんて思ってしまいました。

つまり米長永世棋聖が、名人になるのに苦労したのは、同時代のライバル中原誠永世十段や谷川浩司九段の存在のためではなく、二歩の反則を犯したからというわけです。

しかし将棋の神様も無慈悲ではなく、
なかなか名人になれずに苦労していた米長永世棋聖を見ていて、その罪を許し、二歩をしてしまってから20年後の1993年に、名人になることを許したのかもしれません。

これぞ『将棋界のバンビーノの呪い』
ならぬ『将棋界の二歩の呪い』なんてね。

この話をもし米長永世棋聖がお気に入りになって頂ければ、自伝『米長邦雄の本』の中に加えて頂ければと思います。

……なわけないか!

それにしても『二歩をしたから20年』将棋の神様はダジャレがお好きなのでしょうか。


*私のホームページは、
『囲碁将棋でアインシュタインを超える?』
Googleで検索すると出てきます。