Masahiro Yamazakiのブログ -84ページ目

奥の席とマンション

席ががら空きの喫茶店やレストランに入ると、客席全体が見渡せる、奥の席に座りたくなります。バスの席なんかでも、後ろの席は人気がありますし、学校の教室でどこに座ってもいい場合には、後ろの席を選ぶ人が多いです。

周囲を見渡せたほうが身の危険を察知しやすいからとか、人通りが多い場所は縄張りを侵害されるからだとか、他人に背中を見せるのは無防備だからだとか、いろんな理由があるようです。

しかし、全員が後ろの席に座れるわけもなく、前の方や人通りが多い場所になってしまう人がいます。こうした人たちは、最初こそ背後からの視線や行き交う人々の存在をうっとうしく感じますが、そのうち慣れてきて、周囲の状況なんてどうでも良くなります。どうでも良くなった人というのは、リラックスしていて、オープンマインドになります。どうでも良くなれないと、いつまでも居心地の悪さを感じ続けます。

一方、席の後ろの方に座った人は、状況がよく見渡せるため、ある種の安心感を得ることができます。しかしながら、状況が見渡しやすいという環境ゆえに、周囲の状況の変化につい注意を向けてしまいます。自分は監視される恐れがなく、他人を監視しやすいという状況は、安心感を与えてくれますが、同時に閉鎖性や警戒心を高めもします。

周囲が見渡せ、自分自身はあまり見られないというものの代表に、マンションがあると思います。マンションはその機能性だけではなく、奥の席に座ることに似た安心感を与えてくれるように思います。

マンションというものは、奥の席に座りたいという欲求にうまく応えてくれるもであり、そうした生活空間は、人間性にも少なからず影響を及ぼすのではないかと思っています。






「思い通りにいかない」について

今日も朝から塾です。

「思い通りにいかない」という言葉は、どちらかというと否定的なニュアンスで使いますが、プラスの側面を考えると、「あるべき理想の姿」がなんとなく頭にあるからこそ、「思い通りにいかない」という思いが生まれるのだと思います。

現状に漠然とした不満があることと、思い通りにいかないなぁと思うことは、似て非なるものかもしれません。漠然とした不満には、代替案も改善も努力も行動も伴わず、自分自身や周囲を不快にしますが、「思い通りにいかない」については、何か希望めいたものを感じることができます。

そのせいか、試合に負けた監督などが苦笑いで、「思い通りにいかないですねぇ」と言っているのを見ると、ちょっと力がもらえたりします。

飛躍しようとしている人は、地中にうごめくエネルギーを持っています。そのエネルギーの存在が認識されることは少ないかもしれませんが、そのエネルギーの存在を認識されたとき、周囲に力を与えるのだと思います。





数学と理科にやりこめられる

数学の図形の問題に2時間ほどやりこめられたが、ようやく突破した。

機嫌を良くして理科に取り掛かるも、密度の問題にまたしてもやりこめられた。

自転車に乗ってからプールに行く予定が台無しになった。



曜日感覚とやらされてる感

今日も朝からテスト対策です。

最近休んでいないので曜日感覚を無くすと思いきや、曜日感覚はしっかりと機能しています。なぜか土日や祝日は、塾が休みじゃなくても、休日の気分になれてラッキーです。しかし、平日はどれも同じだと感じるようになりました。月曜も金曜もテンションはまったく同じです。

それにしても、会社員時代は土日へのカウントダウンのように平日を過ごしていたのですが、あの感覚って何なんでしょうか?普段は気難しそうなおじさんも、金曜日になるとちょっとウキウキしていたような気がします。そのかわり、月曜日の朝は、この世の終わりのような仏頂面であったように思います。自分も月曜の朝はテンション激低でした。

やらされてる感が強いと、月曜に不機嫌になるんじゃないかと思います。



至高の教育者

生命の素晴らしさを伝えるものは、誕生よりもむしろ死であると思います。

死が放つ光によって、残された人たちは生の形を実感できるのだと思います。

日本の高い自殺率の背景には、死を必要以上に覆い隠す風潮が関係していると思います。

誰もが自分の小さな命を大切に守り続けています。その庇護が解除された状態を見ること以上に、命の大切さを教わる機会はないと思います。

死者は至高の教育者です。だからこそ尊ばねばならず、見届けねばならないのだと思います。

友人のお兄さんが、若くして病気で亡くなられました。たいへんな働き者で、毎朝仕事場の前を掃除されていました。

そんな当たり前の風景が、実は特別な事だったんですね。