ウンコカレー | Masahiro Yamazakiのブログ

ウンコカレー

昨日は中2の授業で、「生きる力」ってなんだろうね、という話になった。先週中3の授業でしたウンコ話がまだ頭に残っていたので、「生きる力とはウンコをもらさないことである」という仮説を無理やり立てて説明してみた。


当然のことながら、「ウンコなんてもらさないよ!」という答えが返ってくる。しかし、ウンコをもらす人は、つい数時間前まで自分がウンコをもらすだなんて思わないものだ。近くにトイレが無い場合、ごく限られた可能性の中で究極の選択を迫られる。何かを守るために、何かを捨てなければならない。羞恥心を捨ててパンツを守るも良し。パンツを捨てて自尊心を守るもよし(守れるか分からないけど)。自尊心とパンツを守るために、一か八かの賭けに出るも良しである。


強引に結論を出すと、「生きる力」とは「やるべき時にやるべきことを断固として実行する力」だと思う。ウンコを漏らしたいと思う人はいないが、漏らしてしまうものである。大切なことは、ウンコを漏らす前にどのようなソリューションを模索できたかということだと思う。ただひたすら我慢する以外に、何をしたかが大切だと思うのだ。万策尽きてウンコをもらしたとしたら、それは仕方のないことだ。

「生きる力」とは大体そんなところだと思っている。


じゃあ「生きる力」はどうしたら身に付くのか?と考えると、それは様々な緊急事態(ウンコをもらしそうになる)を切り抜けることだと思う。こればかりは身に付けようとして身に付くものではないが、あえて言えば、「日々の行動範囲を広げること」だと思っている。色んな事をやっていれば、その分だけ緊急事態の発生率も増え、対応力や危機回避能力は高まるものだと思っている。だから、テレビなどでよくある「初めてのお遣い」などは非常に有効だと思っている。


続いて、「創造性」ってなんだろうね、という、これまた壮大な話になった。もう授業はウンコモードになってしまっていたので、無理にウンコ話を続ける。「創造性とは、海でウンコをすることである」と言ってみた。


大学生の頃、部活(ボードセーリング)の自主トレ中に、ふとウンコがしたくなった。かなり沖にいたのだが、陸に戻ろうと思えば無理なく戻れるほどの便意であった。しかし、「海の中でウンコをするのってどんなだろう?」と思った。一緒に練習していた部員と数百メートルの距離を置き、ライフジャケットも海パンも全て脱ぎ、真夏の湘南の海にダイブした。首まで海につかり、風向きと潮の流れを十分に確認してから、元気いっぱいウンコした。


それは、想像をはるかに超えるものであった。水中でのウンコがこんなに気持ちいいなんて、全く想像していなかった。あの快感は言葉では言い表せない。急浮上してきたウンコは、潮の流れに乗ってどんぶらこっこと消えていった。

もしも世界の終わりが来たら、その日のウンコは海でしようと思っている。


「そんなことは既に誰かがやっている」と考えて何もしないのはもったいない事だと思う。イルカもクジラも海でウンコをしているし、海でウンコをした人なんて数え切れないくらいいるだろう。しかし、自分にとってはかなりエキサイティングな試みであったし、その結果どのような感想が得られるのかも、全く未知であった。そして、それは想像を超える感動を与えてくれた。「なんでこんな単純なことを思いつかなかったんだろう」とも思った。


海中ウンコで得られた思いがけない快感は、自分にとっての大きな収穫であった。その感慨が日常への好奇心を掻き立て、その後の様々なチャレンジを生み出したと思う。(ロクでもないチャレンジばかりだったけど)


日々の生活の中には、少し行動を変えただけでものすごくエキサイティングになることがある。一度それを味わってしまうと、今度は積極的にそれを探すようになる。そうした行動の積み重ねが、創造性につながるのだと思っている。


そんな話をしていると、ものすごい雷鳴が響いた。バケツをひっくり返したような雨が降り、雷が鳴るたびに、何人かの生徒が嬌声を上げた。ある生徒が、「もしこの雨がヒョウに変わったら帰れないんで塾に泊まってもいいですか?」と唐突な質問をしてきた。せっかくウンコの話をしていたので、「いいよ。みんなで泊まって、教室でカレーでも作って食べよう」と答えてみた。「カレー作りたい!!」という声と共に教室の興奮が頂点に達したので、とりあえず休憩時間を入れた。


こうして、ウンコの話はカレーの話で終了した。

「きれいにまとまったな」という満足感が残った。