4月釜石市と大槌町
初日は小雨
家の無い町を走る 毎月走っていても痛々しい
以前の副校長先生が校長先生になって赴任されたので寄らせてもらいました。
この日は校長先生方は盛岡で校長会があり不在ですがご挨拶に
高台にあり学校は無事、生徒さんもほとんど被災無く、落ち着いた静かな感じ。
副校長先生は前任が陸前高田だったそうで、学校のすぐ前まで津波が来て、学校は避難所になって、学校・病院・避難所等すべての機能が学校に集まり大変だったようです。
満開の桜の側を通って次の学校へ。
廃墟のような町を走ったからか 桜の美しさが染みる
駅はかなり高い所にあるのだけど 津波にやられて不通。
左右共線路はさびついたまま。
小学校は廃校になったまま
堤防も途中で 将棋の駒がたおれたようにくずれている。
そんなわきを通って旧中学校へ。
校庭が無いので子供を外で遊ばせられない。部活が思うようにできない。野球部も外に出ないと練習ができない。すると移動の時間とお金がかかる。など 大変だそうです。
でも 今月運動会ができるように頑張ってみえます。
左が小学校。右が中学校。
建設中の所は知っていましたが、今回初めて中に入りました。
中学校さんには 岐阜の○○町が町を挙げて支援してくださることに。
町のパンフレットと窓口になってくださるNPOさんのパンフレットをお持ちし、お話をしました。
生徒さんのお写真もいただきました。
NPOさんは5月にフリマをして募金を呼び掛けてくださることになっていますので、事前に写真が行っていますが、その写真を見たNPOさんは「どの写真を見ても胸が詰まる思いで見せていただきました。」とのことでした。
ずっと続いて支援していってくださると思います。私達もそのお手伝いをするつもりです。
大豊さんのサイン入りボールも「夢は自分の両手でつかめ」を渡してきました。
大豊さんがもう引退して時間が経っているし、東北の方だから中日の選手さんを知らなかったり、興味がないんじゃないかと思っていましたら、みなさん大豊さんのことはご存じでした。生徒さんまで知っていると。早速 野球部の顧問の先生と生徒さんも駆けつけ 一緒に写真撮影。
私は大豊さんの生き様に感銘を受けていました。
野球がしたくて、王さんにあこがれて日本にみえました。
つらいことがたくさんあって、一時は台湾に帰ってしまったこともありました。でも 夢をあきらめず 日本に帰って来て、人1倍努力されました。そして あれだけになりました。
夢をあきらめなければ叶うこと・努力は人をうらぎらないこと(ただし努力はすぐには結果がでないのでつらいですが、いつかきっとものになること)を感じてもらえたらと思います。
小学校さんは校長会ではなかったので、校長先生とお会いしてきました。
大豊さんのサイン入りボール「熱き思いをずっと」を渡してきました。
また 地元の荒川の仮設の方々が縫って下さった雑巾数十枚。大変喜んで下さいました。
「いつもなら生徒に1人2枚づつ雑巾を持ってこさせるのですが、仮設にいるためできない。ありがたいです。」と。
そうですね。仮設の方はタオルは欲しいばかり。雑巾にする余裕は無いでしょう。
引き続き岐阜のみんなでも雑巾を作って 今後数年はお届けしたいです。きれいなタオルも。
校長先生に 地元の仮設の方が作ってくださった雑巾を渡す
他にも仮設に移った学校さんは苦労が多いようです。















