はるかさんの記事を転記しました。

前のいつかは仙人さんと同じような内容です。

被災地の方が安心して生活できる町作りは難しいのでしょうか?

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昨夜の地震はちょっと長めの小さな揺れから始まりました。

いつものように震度1くらいかな?と思っていたら、次第に大きくなり…

夕食の支度でつけていたガスコンロを慌てて消し、玄関の窓を開けて…

非常袋を準備しました。

すぐにテレビの情報も入り、津波注意報が発令されたのもさほど時間がかからず…久しぶりにまたあの嫌なサイレンの音が鳴り響きました。

ちょうど娘たちは海岸線をバスで帰ってきている途中。

いつも迎えに行くバス停まではあと10分くらい。海岸線を走って帰ってきます。

普段は私が迎えに行くんですが、昨日は足の痛みもひどく何があるかわからないので旦那が迎えに。

その間に私がしたことは、とにかく避難袋の準備。
通常の食料品や救急セット、電池等が入っているリュックの他に、毛布類が入っている袋といつも飲む薬が入っている袋、計3袋を準備。息子二人にはジャンパーを着せ、いつでも逃げれる準備をしてました。

その間にも、隣近所の方々は続々車で高台に向けて避難を開始していました。

まずここで一つの問題

大槌町の中で2500戸ほどの仮設住宅が建っていますが…

津波注意報が出た際に避難が必要と思われる仮設は唯一この地域だけかな。

実は ここの仮設住宅は津波浸水区域に建てられています

他の仮設は全部高台や、かなり山の方なんですが…

ここだけ大きな津波が来たら危険と言われている。

そもそも仮設住宅をそういった場所に建てること自体問題じゃないのか?というのが一つ。

本来なら、津波注意報が出てもここなら大丈夫と言える場所であればよかったのですが、安全が確保できないのでみなさんそれぞれリュックを持って避難開始。

我が家は、旦那も娘たちも帰ってきていないし、何より車がない。

避難するにもできない状況だったので、そのまま仮設に残るしかなかったわけですが…

車もなく、高齢者だけだったり、たまたま私のように怪我をしていた場合の避難はどうすればいいのか?これが二つ目の問題。

皆が避難をしているのに、我が家は仮設に残った。結局、これが子供たちのトラウマを引き出し、大きなストレスを与えることになってしまいました。

特に、次男君。

津波注意報発令後、一時期酷かったけど最近は落ち着いていたチックの症状がひどくなり、ずっと激しく頭を振り続ける状態で、これは結局寝るまで治まることはありませんでした。

隣の人が次男だけでも連れて行こうか?と言ってくださいましたが、この状況で家族が離れるのも良くない気がしてとにかく旦那と娘が帰ってくるのを待つことに。。

その間に店長さんはお店を閉めて避難することを夜番の子に指示。

統括に「津波注意報が出たのでお店は閉めてみんな避難させます。」と電話したら…有り得ないことに

「なんでだよ。」と返事が返ってきたとかで。。

ここでも、結局今なお不安と恐怖を抱えながらも被災地で現実と向き合いながら生活している私たちと、内陸に住んでいる津波の不安を感じていない一部の人との間のギャップを感じさせられることになってしまいました。

私たちが津波に対してどれだけの恐怖心を持っているのか?あの一瞬で全てを失った私たちに残されたのは大きく揺れたら高台に逃げる。それしかないのです。

お店や、家も大事かもしれませんが、やっぱり命あってこそ。「なんでだよ。」のまるで他人事のような返事には「まぁ、ここに住んでいなければ他人事なんだよな~」…結局「絆」も、先日の特集も響かない人には何も感じさせることはできていないという事実を突き付けられただけでした。

娘たちが無事に帰ってきたときには、すでに津波到達予想時刻の数分前。

避難するには一度海に向かって下がっていかなければならない道路状況を考えると…

とりあえず仮設に残って様子を見た方が賢明だろうという私と旦那の判断で仮設に残りましたが…

子供たちは青ざめた顔のまま。

それでも津波の一報の10cmという値を見て少し安心したようなので、まずは食べれるときにと夕食を食べて後は解除になるまでずっとニュースを見ながら過ごしました。

その間にも、何回も鳴らされるサイレン。

そのたびに警報に変わったんじゃないか?大津波警報になった?不安は増すばかり。

サイレンは、海岸に近づかないようにという警告の為だったんだけど、あまりにも何回もなるのでそのたびにフラッシュバックのような症状を引き起こすことになった。

幸い昨夜は大きな被害に見舞われることもなく、注意報解除。

やっと少し落ち着いたところで、みんな遅めのお風呂に入り、早めに就寝しましたが…枕元には大きな袋が3つ。

結局、眠れなかった方も多数いたようです。

今朝は次男君。

浸水区域なのに通学路に指定されている海の見える道路を通っていくのが怖い。という事で車で学校まで送っていきました。

距離的に300M足りないからスクールバスは出せない。

全く持って、根拠もなければ意味も分かりません。人命よりも距離を取る教育委員会。

寄付されたバスがたくさんあるはずなのに、義援金もまだ1億円ほど残っているはずなのに費用がないとかいうんですよ。。

私たち被災者が今一番望むことは、防波堤の完備でも、道路の復旧でもなく、がれきの撤去や通学路の補修でもない。

もし、仮に昨日のように注意報が出ても避難しなくても大丈夫な街づくり。

これからここで生活していくうえでどこにいても安全だと思える街づくりがしてほしいんです。

その為に町を山沿いに移動するのも構わないと思います。

住宅は早く山を切り開いて全て高台移転にしてもらいたいんです。

学校に行く時も安心して歩いていけるような。

そんな街づくりを検討していってもらいたいのに、町では別な方向に進もうとしています。