毎月1~2回、被災地支援に来ている岐阜支部の活動報告です。
今回は企業訪問もしています!
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釜石駅前にある鎮魂の鐘をついてから出発です。
釜石の企業2つと大槌の企業2つをしました。
それぞれの社長さん達から 震災当日から今までのいきさつをお聞きしました。
土壇場からどうやって立ち直ってきたか・支えは何だったんだろうか。
そして立ちあがってきた人間のすばらしさに感銘を受けましたので、お話したいと思います。
釜石市の会社1
会社は前に堤防と道路があるだけで、海に面している
会社全体の1/3は全壊。2/3は鉄筋の柱のみ残っただけ。
事務所も2階の天井近くまで津波が来ていて、今も痕が残る。
3月11日 地震があった時に すぐに社員を自宅帰らせた。早かったので水門も閉じていなくて通れたし、まだ道路の混乱も無く、社員は無事帰れた。全員助かった。もしあの時帰らせていなかったら、社員全員を死なせていたと思うし、自分達も死んでいたと思う。
避難した先から家が流さられるのを見た。
会社に来てみると鉄骨だけの無残な姿で もう駄目だと思った。だから写真を撮った。
でも朝日が昇ってくるのを見て、やっていこうと思った。
下請けでは無く、自社製品を作っているので、できると思った。
鉄骨が残っているじゃないかと思い、みんなで側を貼って再開に取り組んだ。
社長さんが、地元の銀行は被災者で手がいっぱいで資金調達が難しいと判断し、盛岡に飛び、JA・商工中金・県信連から)資金を調達した。
物がなくなるから早く仕入れをしておくようにと指示をされたが、それがあたった。
5月から再開できた。まずお金になるのはわかめなので、わかめの塩造機から作りだした。
「当社は鉄骨と屋根が残りまして、非常に幸運で再起しやすかっただけですので、そんなにたいしたことではありません。それよりも 全国のストーブユーザー様とか同業者様から励ましや支援を
中はこんなになっていた もうだめだと思った
倉庫7か所が全て全半壊。
被災当初の4・5日は何をしていいのかわからなかった。
よく「夢を持ちなさい。とか希望を持てとか言うけれど、あんなのはうそだ。平時に言う事だ。夢も希望もあるか。社員の人が来てくれたけれど、帰ってもらった。自力で足元のがれきを片付けることから始めた。
私が「またやっていこうと思った心の支えは何ですか?」と聞くと、社長さんは「船が遠洋漁業に行っていて無事だったこと。まだやれるものがあった。何とかなる。 今まで海の恩恵・恵みで生活させてもらってきた。80年間。
海が奪ったものは海から取り返す。
家財道具も洗ってまた遣っています。そろっていないのですが。捨てたらごみ・がれきだから。
自助力・公助力・共助力がいる。まずは自分で努力して行こうとしなければダメだ。
大槌町の企業1
保険の会社。ちょうど3月1日に会社を新築し、オープンしたばかりだった。新築のちらしも作って配った。ほとんど何もしないうちに震災にあって もう駄目だ。やめようと思った。何も無くなった会社跡を見て、夢じゃないかと思った。
でも 被災した方達は保険のお金がおりないと生活していけないので、この人達に払い終わるまでは仕事をやめられない。と思い再開した。使命感からやりだした。
避難所の体育館を訪問し、保険の手続きの仕方を説明して歩いた。その時におにぎりを作ってもっていってみなさんに食べてもらった。(社長さんの会社はだめになったが自宅は残ったのでおにぎりが作れたから。)
借金もあったので、自分の生命保険から家族の保険・子供の学資保険まで解約してお金を作った。
住居は無事だったので、家の物置を会社にして初めたが、今は会社用の仮設住宅があたったので、そこで再開している。
今も被災地を通りたくない。でもお客さんとの約束があるからと思うと通れる。帰りは別の道を通る。運転していても「今ここで津波が来たらどこに逃げたらいいんだろう」と逃げる事ばかりを考えてきょろきょろしながら運転している。
そうしているうちにお客さんから別の人を紹介していただいて増えてきているし、保険の見直しをし、地震保険を付ける人が増えて、何とかやってきている。
生きていたら借金も返していける。
大槌の会社2
100年続く老舗の日本料理屋さんで息子さんが板前さんをし、2階でおかあさんが美容院をしていた。
2年前に○○○万円ほどかけてお店を改装したばかりだった。お茶碗等も昔からのとてもいい物を使っていた。
1週間前に娘の結納の予定だったので、みんな買ってそろえてあったが、すべて流された。娘は裸1貫で 何も持たずにお嫁に行きました。つらかったですが、それでいいと言ってくれたいい人の所にお嫁に行きました。
今は2重ローンだ。
地震の時、あーすべて終わったと思った。
津波が来るので3階に上がって行き、寒さに震えて1晩過ごした。カーテンをとってみんなで輪になって肩にカーテンをまいて寒さをしのいだ。
目の前に津波が来てみんな流されて行った。何の音も聞こえず、しんと静かな中凄い津波にみんな流されて行った。マスト(お店の名前)のガソリンスタンドが爆発し火が上がった、灯油のタンクが燃え、あちこちで火があがり、燃え広がるのが見えた。自分達にも火がせまり、包まれていった。朝煙がすごかった。公民館も燃えていた。すべて燃えていった。
娘が犬の服を作っていたので、風呂敷程の布があったので、それを破って紐をつくり、助けてもらえるようにつないだ。
朝10時ごろ自衛隊が来て助けてもらった。がれきで降りられない。自衛隊がくれた綱に自分が作った綱をまきつけてそれをつたって地面に降りようとしたが、その時肩を痛めた。今も痛い。
その後親戚の所に世話になったが、1カ月つらかった。1時間歩いて人に為物を頼みに行った。公民館に電話があるので、何時間もかけて歩いて電話をかけに行った。でも公民館には1500人もの人がいた。その後あちこちてんてんとした。頼れる人はだれでも頼った。
縁あって娘の婿さんのご実家が空き地を貸して下さって そこにこうして美容院を建てられた。隣に息子の料理店を開業する予定だ。
肩が痛い痛いと思っていたら、癌が見つかり、7月15日に手術をした。今も薬は飲んでいるし、肩から腕も痛くて寝れなかったり、痛みで朝方目がさめたりするが、2重借金はあるし、この成人式も来てくださるお客さんがあるので、まだまだがんばる。
人間ってすごい








