問いかけ | flat3 football club 監督日記

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街の片隅で細々と活動しているU-15のサッカークラブでした。

できるだけボールを蹴らずにサッカーが上達する方法をさがしていました。

今は「教えない指導」「教えない教育」の布教活動中です。

コーチが話の中に『ぜったい』というフレーズを使う癖があるので、禁止にしてる

が、しかし、そう言う僕も使ってしまう事がある。

では何故 禁止にするのか。

『ぜったい』と言ってしまうと
「視野」が狭くなるような気がするから。
「可能性」を排除してしまうような気がするから。
「新しい発見」を見逃してしまうような気がするから。

『○○は絶対にXXだ』って言う癖がある人って、『そんなの当たり前』とか『それは当然』とか『普通○○だ』っていうフレーズもよく使う。

で、そのフレーズをよく使う人に
『当たり前』『当然』『普通』に至った経緯を「どうして当たり前なの?」
「なぜ当然って言えるの?」
「何を基準にして普通なの?」
って聞いてみると
ほとんどの人が『……それは自分の経験から……』って答える。

それってものすごく危険なこと。

"指導" みたいな事をしていると、「経験」が活かされる場合もあるけど、邪魔になる場合もある。
特に小学生や中学生と向き合っている時、指導者の「自分の経験」は邪魔になることの方が圧倒的に多い。
指導者が発する『当たり前』や『当然』や『普通』は、小学生や中学生にとっては「当たり前じゃない」し「当然じゃない」し「普通でもない」、から。


だから自分に問いかける
『今また「ぜったい」っていったけど、どうして「ぜったい」なの?』って。
『「当たり前」の根拠は?』
『「当然」って言ったけど、どうなることが当然?』
『この子に対して「普通」って言葉を使ったけど、この子の親の「普通」とオレの「普通」は一致してるかな?』って、必ず自分に問いかけてみる。

問いかけてみると、ほとんどの場合で『ぜったい』なんてコトはない。
もちろん、当たり前でも当然でも普通でもなくて、別に答がある場合がほとんど。


こんな遊びを「脳の初期化」って言うらしいです。
まだまだ綺麗な脳の小学生や中学生と向き合う時に『ぜったい必要な』遊びです。