自分で押してこそ | flat3 football club 監督日記

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街の片隅で細々と活動しているU-15のサッカークラブでした。

できるだけボールを蹴らずにサッカーが上達する方法をさがしていました。

今は「教えない指導」「教えない教育」の布教活動中です。

"その子" がやる気になったり出来るようになったりした「きっかけ」が "自分" にあるように言う指導者がいる。

『やる気スイッチを見つけて、押してやりました』って恥ずかしげもなく言える人。

そんな人に会ったので聞いてみました。
『次に彼がやる気を失った時もまた側に行ってあげてスイッチを押してあげるの?』
『彼が何歳になっても彼のスイッチを押し続けてあげるの?』
『もしもアナタが彼のやる気スイッチを見つけられなくなった時、その時彼はどうなるの?』って。



企業の金儲けのために作られたキャッチコピーを、子供の育成現場に恥ずかしげもなく持ち込める神経が残念。

やる気スイッチというスイッチが有るとすれば、それは自分で探して自分で押さないと意味がない。
という事を子供にしっかりと教えてやるのが子供の育成現場に立ち会う大人の責務。

ニブい指導者ほど『オレがアイツのやる気スイッチを押してやったんだぜ』って自慢したがる。

自分でスイッチを見つけられないヤツ
自分でスイッチを押せないヤツは
いつまで経っても「やる気」など出せないし、出せたとしても一瞬で消えるものしか出ないでしょう。

先になって苦労して、その時に後悔しても遅いから、有りもしないスイッチで誤魔化さないで今キツく接してあげるべきなのです。

もしも本当に「やる気スイッチ」が存在するとして、万が一そのスイッチの場所を見つけられるほどの眼力を持った指導者がいたとすれば、きっとその指導者はそのスイッチには手も触れないことでしょう。

他人が操作するべきスイッチじゃないことも見抜けるだろうから。

何も見えていない指導者ほど何もかもが見えたつもりになって騒ぐものです。