駒 | flat3 football club 監督日記

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街の片隅で細々と活動しているU-15のサッカークラブでした。

できるだけボールを蹴らずにサッカーが上達する方法をさがしていました。

今は「教えない指導」「教えない教育」の布教活動中です。

高校に進んでサッカーを続けたとしても、選手のことを将棋の駒のように扱う指導者はいるでしょう。
社会に出ても「自分は所詮将棋の駒だ」と思う瞬間に幾度となく出会うでしょう。

誰もが経験することですが……

だからこそ、小学生を将棋の駒のように扱う指導者の、その扱い方に大きな疑問を感じます。

身体の成長はもちろん、心の成長もサッカーに関する可能性も未知数の小学生を "その時" の見かけだけで「歩」にしたり「飛車」にしたり「角」にしたり「王将」にしたり、と決めつけて扱う指導者に疑問を感じるのです。

高校に進んでも社会人になっても駒として扱われることがあるからこそ、いろんな可能性を秘めている小学生をただひとつの駒として扱うのではなく、まず先に将棋の楽しさを教えてあげてほしいな、と。

将棋の楽しさを教えてあげた後にそれぞれの駒が果たす役割を教えてあげてほしいな、と。

「歩」には歩にしか担えない役割があり、「飛車」「角」には飛車角なりの役割がある。
「王将」はなぜみんなから守られるのか。

将棋の楽しさを知る前に、背が低くて足が遅いから「歩」にされる子がいたり、背が高いだけで足が速いだけで「飛車」や「角」にされる子がいたり、少しばかり球蹴りが上手いだけで「王将」にしてもらえる子がいたり……

可能性が未知数の小学生だからこそ、その競技全体の楽しさを伝えた上でそれぞれの駒を経験させてあげたい。

競技全体の楽しさを知る前に、自分の手柄が欲しい指導者に植え付けられた駒の役割に縛られている子が多すぎる。

しっかりとした意志と意思を持って、その役割を理解していれば、責任感がある駒になれる。


意志も意思も持たずに働いている大人がグラウンドに来て、子供相手にストレスを発散して帰るからややこしいことになる。

自分は駒に成りきれない大人が、子供を駒として扱うな!