時間といふもの。
インドの至上神(バガヴァーン)などは、時間(カーラ)を司る。
時間とは「創造・維持・破壊」で成り立っている。
でも破壊が終わりではなく、破壊の後には、また創造が始まるという感覚。
つまり「創造・維持・破壊」が繰り返し、繰り返し続いていく世界。
破壊っていうと怖い印象が多いけど、終わりがあるから頑張れる面もある。
マラソンの、42.195kmだって、ヘトヘトになっても、
終わりがあると思えればこそ、座り込まずに、頑張って走れたり…。
自分も歳を取って、病室で寝たきりになり、世間や周りの人に迷惑を掛けて、
自分で何もできないとかなった時に、
「ハイ、医療が進んで、この状態であと1000年生きられますよ」と言われたら、
生まれ変わりがあるのなら、1000年、病室で寝たきりで生かされるよりも、
生まれ変わりたいと思うのかな?
まあ、真我(魂)は不滅(始まりも終わりもない)だという概念があって、
輪廻転生の中にいる限り、死んでも、また生まれ出るという概念があるから、
産まれ、育って、歳を取って、亡くなり、また産まれると思えているならだけど。
身近なものだと、昔はゲームだって、終わり(エンディング)があるから頑張れた。
最近のソーシャルゲームみたいに、課金させて、終わりなく続きそうなゲームとか、
やり続けても、やり続けても、終わり(終わらせない)って逆に怖いとも思える…。
「24」とかのシリーズものの海外ドラマだって、10巻で終わるから、
観てみようと思えるのかもしれないけど、1000巻あって、
未だ増え続けてるとか言われたら、観てみようという気も失せると思う…。
でも、楽しい時間(日々)の時期は、それが永遠に続けばいいなと思うものだけど、
時間がある世界な限り、ずっと同じではなく変わっていくし、永遠ではない。
でも適度な所、適度な時間で終わってくれないと逆にシンドイのかな、とも思う。
映画館の映画だって、2時間で終わってくれるから楽しいのであって、
100時間たっても、いつ終わるかわからずに映画館に閉じ込められてたら、
楽しいどころか、拷問に思うかもしれない…。
解脱といったり、至上神との合一といったり、そういう時間を越えた領域に、
永遠に満ち足りた境地(サッチダーナンダ)があるのは、そういう訳なのかな…。
時間とは「創造・維持・破壊」で成り立っている。
でも破壊が終わりではなく、破壊の後には、また創造が始まるという感覚。
つまり「創造・維持・破壊」が繰り返し、繰り返し続いていく世界。
破壊っていうと怖い印象が多いけど、終わりがあるから頑張れる面もある。
マラソンの、42.195kmだって、ヘトヘトになっても、
終わりがあると思えればこそ、座り込まずに、頑張って走れたり…。
自分も歳を取って、病室で寝たきりになり、世間や周りの人に迷惑を掛けて、
自分で何もできないとかなった時に、
「ハイ、医療が進んで、この状態であと1000年生きられますよ」と言われたら、
生まれ変わりがあるのなら、1000年、病室で寝たきりで生かされるよりも、
生まれ変わりたいと思うのかな?
まあ、真我(魂)は不滅(始まりも終わりもない)だという概念があって、
輪廻転生の中にいる限り、死んでも、また生まれ出るという概念があるから、
産まれ、育って、歳を取って、亡くなり、また産まれると思えているならだけど。
身近なものだと、昔はゲームだって、終わり(エンディング)があるから頑張れた。
最近のソーシャルゲームみたいに、課金させて、終わりなく続きそうなゲームとか、
やり続けても、やり続けても、終わり(終わらせない)って逆に怖いとも思える…。
「24」とかのシリーズものの海外ドラマだって、10巻で終わるから、
観てみようと思えるのかもしれないけど、1000巻あって、
未だ増え続けてるとか言われたら、観てみようという気も失せると思う…。
でも、楽しい時間(日々)の時期は、それが永遠に続けばいいなと思うものだけど、
時間がある世界な限り、ずっと同じではなく変わっていくし、永遠ではない。
でも適度な所、適度な時間で終わってくれないと逆にシンドイのかな、とも思う。
映画館の映画だって、2時間で終わってくれるから楽しいのであって、
100時間たっても、いつ終わるかわからずに映画館に閉じ込められてたら、
楽しいどころか、拷問に思うかもしれない…。
解脱といったり、至上神との合一といったり、そういう時間を越えた領域に、
永遠に満ち足りた境地(サッチダーナンダ)があるのは、そういう訳なのかな…。