至上神へといざなうモノと、そうでないもの。 | まいぱーそなる武士道めいびー

至上神へといざなうモノと、そうでないもの。

「人は何も持たずに裸でこの世に生まれ落ちてきて、何も持たずに裸で死んでいく」

脳内の思い出(脳内記憶)さえ歳を取って忘却してしまうとするならば、

インド的、仏教的には、行為(カルマ)による功徳(悪徳)や修行の功徳だけは、

蓄積されていて、生まれ変わっても持っていけるモノなのかと思う。


もちろん現代・近代社会で、この世で生きていくには、お金が必要で、

そのためのよい仕事や、成功なども生きていくには必要だろうけど、

貯金通帳や現金を持って死んでいく(捨身)していく訳でもない。


そう考えると、神へと向かう善なる要素、それを実践したり、培っていくこと、

日本語的な「ヨーガ」もインド的には「神との合一」を意味する。


インド的には、輪廻を繰り返しても変わらない真我(アートマン)の存在があり、

それはブラフマンと同じもの。


最近は、ラーマクリシュナの不滅の言葉も少し読むけど、

繰り返しギーターを読むことが多い。


ギーターなどでは、それ(アートマン)は人間の心臓(胸)にあるとされている。

最近は、瞑想や横になっている時でも、至上神を深く意識した時に、

自分の胸の中のアートマンが突き上げてくる感覚を経験するようになっていて、

それは物理的にも、仰向けで寝ている時なら、

胸がドクンと疼くと、その反動で、膝や足先が宙に浮くくらいの反動で、

多分、普通の人から見たら、不思議で、何事かと思うかも…。

ただ物理的にも現れるものだから、

単なる思い込みによる空想ではないし、アートマンが胸にあることを、

心だけではなく、物理的にも、少なくとも自分は経験していることだ。


でも、結構やらなくてもいいかもしれないことも、いろいろやっている。

そういう意味では、普通の人間というか、まだまだ未熟だ。


でも、徐々に、この世に生れ落ちてきて、

何が無常で、何が意義(意味)あるものかが、少しずつ自分の中で明らかに

なってきている。 ギーターを読んでも、以前はわからなかった部分が、

何となく理解できるようになっていたり。


可能な限り、バガヴァーン(至上神)と合一する道に向かいたい。

まだまだ、道草や、あまり意味ないことや、ドジやら、

いろいろやらかすかもしれないが、向かっていく道だけは、

もう迷わないとは思う。


話は変わって、塩ノ谷沙耶香さんの新曲『それでも世界は美しい』の

MV(Music Video)が、少し人の人生や神(女神)を考えさせくれるような内容で、

今日記事に書いたことと少し似ているところもあると思って、

印象深かったので貼っておきます。