そんな番組を見て、その存在を気にするなというほうが難しい。
シンは口元に笑みを浮かべ、口を開いた。
「語学も華道もお前には必要はない。」
『………。』
「英語やフランス語が分からないなら僕が通訳する、お前はただ僕に寄り添っていればいい、そうすれば全て耳元で韓国語に変えてやる。…何も知らなくていい、僕が全て頭に入れて、僕が常にお前の耳元で伝えてやるから。」
『…そんなことしてたら、…イチャついてるって言われない?何もできない人間が皇太子妃だなんて笑われない?…シン君が嫌な思いしちゃうよ。』
「言いたい奴には言わせればいい。僕とお前の事を知っている人間が、今までそんなこと言ったことあったか?」
『……ない。』
常に温かく、優しい笑みで2人を見つめてくれている。
ずっと見守ってくれている。
「僕たちの時代だ、僕とチェギョンが新しい時代を築いていくんだ。…だから誰にも何も言わせない。」
自分がチェギョンと巡り合えてよかったと思っているように。
チェギョンにも自分と巡り合えてよかったと思ってもらえるように。
全てのものから君を守り、その瞳が曇らないように僕は努力をする。
いつも言葉が足らない僕だけど、この想いだけは真直ぐ君に届くように。
どんなに遠く離れた場所で過ごしていても、この想いだけは誰にも邪魔されず真直ぐ君に届くように。
洒落た言葉は使えないけれど…。
僕はありったけの想いを言葉に込める。
「いつまでも、そのままで。そのままのチェギョンが好きだから。…意地っ張りで、素直じゃなくて…不安なくせに大丈夫って振舞うチェギョンが好きだから。…英語やフランス語、音楽や華道…そんなものが全然できなくても、僕より遥に色々なことを感じ、思いやり、感謝して、それを僕に教えてくれるチェギョンが…大好きだから。」
『…いいの?ホントに…このままで…?』
「言ってるだろう、これ以上輝かないでって…。」
『…うん…だけど…。』
「お前には、お前にしかない『もの』がある。僕はそれで十分、お前は勝負に勝てると思う。」
『…勝負…?』
「いやこっちの話だ…。」
昨日伝えたかったことを、今改めてチェギョンに伝えよう。
遠回しに伝えても、その意味を探ろうとしない人だから、ちゃんと真直ぐに伝えよう。
「…チェギョン、明日の夕方、宮に戻る。だから、宮で僕を出迎えてほしい。」
『うんっ、出迎える。…ちゃんとおかえりなさいって笑顔で言うよ。』
「…約束な…。」
『うん、約束。』
明日はきっと車を降りた自分に、一番に愛しい人からの「おかえりなさい」が笑顔と共に自分の胸に届けられることだろう。
また明日の窮屈で退屈なだけの公務も。
その一言のために。
その笑顔のために。
頑張れる気がした。
「そろそろ寝るか…。」
『そうだね…、明日も早いの?』
「ああ、7時にホテルを発つ。」
『そっか、無理しないでね。…お休み、シン君。』
「おやすみ。」
口元に柔らかい笑みを湛えたまま、シンはそっと電話を切るため耳から携帯電話を離した。
その時。
微かに耳に届いた言葉。
『私もそのままのシン君が大好きだから。』
はっと耳に当てた時には、すでに電話が切れた音。
やられた…。
自分だけが口にして、チェギョンから聞けなかった大切な言葉。
もう少しで聞きそびれるところだった。
シンはやられた…という思いと、照れが交じった嬉しさが胸に渦巻いて、前髪を右手でクシャっと握りながら笑った。
「…え?シン君がそんなことを?」
「はい、会場内でハン・ジウン様にそう告げられたと。」
翌日の昼を回った頃、東宮殿に姿を現したチェギョンに、どこか嬉しそうな顔をしたチェ尚宮が、昨日の国際華芸術交流展の会場内でのジウンに告げたシンの言葉をチェギョンに伝えた。
「自分に必要なのは、自分が気づかないことを気づかせ、感謝の気持ちを教えてくれるそんな人、そう仰ったそうです。」
いつもは感情を出すことの少ないチェ尚宮が、嬉しそうにチェギョンを見つめる。
「チェギョン様の事ですわね。」
「そうですよ、間違いありません!」
パン女官、チョン女官が自分の事のように飛びあがって喜ぶ姿に、ちらっと視線を送り、チェギョンは戸惑いがちにチェ尚宮に視線を合わせた。
「…そんなこと…。」
「私もそう思っております。きっとチェギョン様の事をご存じの方なら、誰もがそう思ったに違いありません。私も、コン内官様同様、嬉しゅうございました。」
「…お姉さん…。」
自分が将来の主と慕うその人が、今の主の口から大切な人だと世間に宣言したような気持ちになり、そのことが誇らしく、そして心の底から嬉しいと思う。
にっこりと微笑むチェ尚宮の笑みを見て、チェギョンも僅かに目を赤らめながら照れたように微笑んだ。
「チェギョン様、これからますます力を入れていただきます。」
「…え?…だって、シン君、そんなの必要ないって…。」
「それとこれとは話が別でございます。」
先ほどの笑みをひきつった口元に変えたチェギョンは、きっぱりとそう告げるチェ尚宮の笑みの消えた顔から、チェ尚宮の後ろに立つ内人達に助けを求めるような視線を送ったが、その視線を受けることなく内人達もゆっくりと顔を背けた。
「…そうでございます…よね。やっぱり…。」
毎日通うとシンに告げたはいいが、やっぱり毎日お妃教育か…そう思うとチェギョンの口からはため息しか出てこない。
肩を落としたチェギョンを見つめていたチェ尚宮は、その様子に微かに口元に笑みを浮かべて、小さく息を吐いた。
「殿下から伺いました、これからは毎日宮に通われるとのこと。」
「…はい…。」
明らかにテンションの下がったチェギョンの声。
視線を落したまま、これから告げられるチェ尚宮の言葉に覚悟を決めた。
「殿下とのお時間を大切にしてくださいませ。お妃教育はこれまで通り、週に3~4日のペースでいたしましょう。」
「…え?」
驚いて顔を上げると、姉のように全てを包み込むような柔らかい笑みを浮かべたチェ尚宮がそこにいた。
「受験のお勉強に差し支えない程度に、頑張りましょう。」
「…はい、…はい!!」
殿下は教養など必要ないと仰ったけれども、今のチェギョン様は何処に出ても恥ずかしくない、それだけのものをすでに身に付けておいでです。
ご本人も気づかないほどゆっくりと、でも確実に、自分のものにしておられる。
いつか殿下の隣に立ち、眩いばかりの輝きを放つその姿を見るのが、今の私の夢。
それまでは、ため息を盛大につかれても、眉毛をハの字にして口をへの字にされても、しっかりとお傍で支えさせていただきます。
内人達とはしゃぐ姿を見つめながら、チェ尚宮は心の中でそう決意を新たにした。
東宮殿に夕日が差し込む中、将来の皇太子妃の部屋で参考書を広げていたチェギョンの耳に、耳障りにならない程度のノックの音が響いた。
「チェギョン様、殿下がお帰りでございます。」
何気なく振り返ったチェギョンの顔が、その言葉で一瞬にして華やかになった。
パタンと教科書を閉じて、駆け足で部屋を飛び出すと、「チェギョン様…!」そう呼びかけるチェ尚宮の声など聞こえないとばかりに、廊下を走り出した。
少しだけ暗い廊下の向こうに、ゆっくりと車寄せに入ってくる数台の車。
パタパタと廊下を走り、車寄せへと辿り着いたチェギョン。
僅かに上がった息を整えながら、シンが乗っている車が目の前でゆっくりと止まるのを見つめた。
すでに先に到着した車から降りた翊衛士の1人がシンの乗った後部座席のドアを開けようと足を踏み出した時、自らドアが開き、ゆっくりと車中から長身のシンが降り立った。
一昨日の2人の心配をしてしまうような危うい雰囲気はすでになく、お互いを見つめて微笑みあう姿に、周りを囲んでいた翊衛士や、シンから遅れて降り立ったコン内官、そしてチェギョンの後を追うように早足で姿を現したチェ尚宮とパン、チョン両女官らは、自然と口元が上がる。
「おかえりなさい、シン君。」
「…ただいま。」
本来であれば、その場に並んだチェ尚宮や内人達、出迎えた東宮殿の職員達が声をかけるものだが、2人のその雰囲気を壊したくない。
その様子を皆が一歩引いてそっと温かく見つめる。
微笑みあった後、シンとチェギョンは肩を並べ、ゆっくりと廊下へ向かって歩き出した。
「あのね、シン君…」
時折耳に届くチェギョンの明るい笑い声と、その姿を愛おしそうに見つめるシンの横顔と。
真直ぐに想いを伝えあう2人の姿を嬉しそうに見つめるコン内官とチェ尚宮たちの姿が、今日も東宮殿にはある。
明日も明後日も、1カ月後も半年後も数年後も、きっとこの風景は変わることはないだろう。
これからもずっと…。
~終わり~