今日は、パンパシフィック・ミュージック・フェスティバルオーケストラ(PMF)を聴いてきました。

サントリーホールにて。

かのレナード・バーンスタインが1990年にスタートしたフェスです。

今年はマンフレート・ホ―ネックが指揮&指導者でピアニストはティル・フェルナーです。

 

予想はしていましたが・・・とても素晴らしいコンサートでした。

終演後、若きクラ友と赤坂の寿司屋で「PMF素晴らしいマーラーありがとう!乾杯!」をやった際の若きクラ友の第一声・・・

「メッチャ感動しました。全てのパートが凄かった。管楽器ヤバイかったです。トランペットとホルンの方、巧いとかそういうことを超えて欲しい音が全てピースとしてきっちりはまってました!メッチャ感動しました!」

 

ホ―ネックのようにピッツバーグ響といったスーパーオケのシェフを担っているときの今回の役回りを私なりに考えました。

学生オケのようなPMFを指導するときにどういう気持ちなのだろう??・・と

ピッツバーグをベンチマークとして指導するのか??学生オケをベンチマークとするのか??

つまり引き上げるべき到達点をどこに置くのかという話です。

 

ホ―ネックは、学生に対してピッツバーグ響に求めるレベル・・到達点を要求したのかもしれないな・・と思いました、

 

選抜された85人・・・まあ、とてつもなく素晴らしかった・・です。

おそらく相当厳しかったであろうホ―ネックの指導にしっかり共感し、喰らいつき、ホ―ネックが到達してほしいと描いた地点に(おそらくは)もがき苦しみながらも、今日、とても素晴らしいマーラーを聴かせてくれました。

 

今日のオケメンバーは私がサントリーホールに通い始めた35年前はこの世にいなかったのだなあ・・・と考えると感慨深いものがありました。

バーンスタインの提唱で始まったPMFが、しっかり根を張って若い音楽家たちに得難い経験の場を提供し続け、その成果を聴衆である私たちが堪能させてもらっています。

今回、ホ―ネックの厳しい指導を通じて、若き音楽家たちは一生のギフトを貰ったのだろうなと思います。

若い人たちが一生懸命音楽に向き合い、マーラーを舞台であげる。

本当に素晴らしい経験を積まれたと思います。

パンフに「マーラーを演奏するのは初めてです」と記していた奏者もいました。

初めてのマーラーをホ―ネック(彼はウィーンフィル時代にヴィオラ奏者としてバーンスタインの指揮するマーラー5番を経験しています)の指揮で演奏できるなんて・・・なんと素晴らしいことでしょう!

そういう方々のひたむきな演奏が届けてくれた感動はとてつもなく大きなものでした。

彼らも終演後、涙しながらハグし合っていました。

 

今日、ピカイチのメンバー。

モーッアルトのピアノ協奏曲22番でフルートを吹いていた方。

間違いなく、トップクラスのオケに早晩入団されると思います。

あなたが吹く一音一音はその音の周囲でミューズが舞ってました。

85人のメンバーの中で図抜けてました!!

 

バレンボイムが組成したウェスト=イースタンディヴィアン管弦楽団で圧巻のフルートを聴かせくれていたスキンヘッドの彼はほどなくバレンボイムが率いるベルリン国立歌劇場管弦楽団で目にするようになりました。

今日のフルート奏者は誰も放っておかないでしょうね。

 

感激しまくってた若きクラ友の歓喜に水を差すつもりは露もありませんが、彼は8月11日に聞く沖澤のどか&サイトウキネンに度肝を抜かれると思います。

ここが音楽の凄いところだと思います。

 

若きクラ友は今年の小澤征爾フェスが初参戦です。

 

今日のマーラー5番に感動しきりの彼に伝えました。

「8月のサイトウキネン、今日のを軽々超えるから」

 

学生中心の選抜がホ―ネックに鍛え抜かれて披露した演奏・・・

それは素晴らしかったです。

 

でも、クラシック音楽の世界の「差」って歴然としているんです。

世界の強者が集うサイトウキネンが松本で合宿のような時間を経て舞台にあげる音楽、それは今日の若者たちがどう逆立ちしたって超えられないアルプスのようなものです。

 

でも、今日のメンバーが10年、20年経ったらサイトウキネンのメンバーとして松本の舞台に立っているかもしれません。

とても素敵なことだし、けっして夢物語ではないと思います。

 

追記

若きクラ友が指揮者のホ―ネックの北海道新聞のインタヴュー記事を見つけて教えてくれました。

 

世界中から素晴らしい音楽家、『ベストピープル』が集まっています。楽譜に書いてある音楽はすでに演奏できる状態です。私のゴールは楽譜に書かれていない、音符の裏にあるものを引き出し、表現を豊かにすること。ショスタコービッチ、チャイコフスキー、マーラー、作曲家によって表現方法は異なります。マーラーの世界観をどう表現するか、マーラー自身、楽譜に書かれていない、音符と音符の間にあるものが一番重要と言っていますが、それを引き出すことこそが指揮者の仕事です。