拙ブログに「いいね」をつけてくださった方の著作があったのでAmazonでオーダーしました。

 

 

アドラー心理学をベースに書かれているようだったので、あの大ベストセラー「嫌われる勇気」(自己啓発の源流「アドラー」の教え)も再読してみました。

といっても探すのが大変なので改めてオーダーしなおしました。

九州出張から帰ってくると2冊とも届いていたので、まずは「嫌われる勇気」を読みました。

 

10年以上前に読んだ本ですが見事に内容を忘れてました。

超骨子「過去のトラウマ(例えば子供の頃に虐待を受けた)という原因が現在の自分を規定するという、過去の出来事によって

現在そして未来は決定されるという原因論ではなく、過去は一切関係なく、現在の自分はいまの自分自身の目的によって規定される」という考え方をベースに、人に嫌われないようにさまざまな我慢をすることはあなたを不自由にし、幸福になることの阻害要因でしかないこと、叱って育てることも、褒めて育てるのもいずれもNGといったとても刺激的な内容の本でした。

あくまで超骨子です。

 

私が生きていくうえでとても大切なことがたくさん書いてありました。

私が恥ずかしくなってしまうような私のダメな部分を直球で指摘されている箇所も随分ありました。

 

今日の本題は、これだけ大切なことがたくさん書いてあり、恥ずべきこと(忘れにくいことのはず)がたくさん書いてあるのに、

私はなぜ内容を忘れてしまったのだろうか・・という点です。

おそらく10年前の私は「大切なこと」を「大切なこと」と認識できていなかったのではないかと思いました。

また、今、読んだら「あなたのやってることはとても恥ずかしいことなんだよ」という指摘も、10年前は自分事として受け止めてなかったのだと思います。

要するに謙虚さを欠いていたのではないかということです。

今の、私が人が変わったように謙虚な人間になったかどうかは他者が評価することなのでなんともですが、明らかに10年前の私は「この本に書かれているようなことは他人事」という意識があったのだと思います。

本当は自分事だったのに・・・

 

「私が我慢すればいい」をやめる本も読みました。

著者は、アドラー心理学の「課題の分離」という考え方をベースに著者と夫との関係について深い考察をされていました。

 

「課題の分離」とは、例えば、子供が勉強するかしないかは「子供の課題」であって、親の課題ではない(親が子供の代わりに勉強しても意味がない)のに、親が勉強しろと子供に言うのは「他者の課題に土足で踏み込むこと」と喝破しています。頼まれもしないのにあれこれ口出しするのではなく、子供に勉強は子供本人の課題であることを伝え、本人が勉強したいと思ったときはいつでも援助する用意があることを伝えることが親の課題と位置付けられています。

 

当初、夫を変えようとしていた著者は、結局夫を劇的に変えることには成功しなかったようですが、御自身の反応と選び方を変えることで少し楽になることができたようです。

夫が何を感じ、何を選び、どう行動するかは夫の課題としています。

以前は「どうして夫はわかってくれないの」と苦しまれたようです。

アドラーの課題の分離を通じて「どうしたら夫を変えられるか?」から「夫が変わらないとして、私は自分をどう守る?」に

変わったそうです。

これは小さな変化に見えますが、著者は「変化は、静かで小さいものでいい」としています。

 

人は知らず知らずに他者の課題によかれと思い踏み込んだり、自分の課題ではないことに踏み込まれても「嫌われたくない」とか「空気を悪くしたくない」といった理由で我慢してしまうことが往々にしてあります。

その我慢がやがて容量オーバーでバーストしてしまい人間関係の破綻につながるということもままあります。

 

人の課題に踏み込むことや、踏み込まれたときに我慢することを「静かに小さな変化」でもいいから変えていくことで、人との関係はとても居心地いいものに変わっていく可能性があります。

 

最悪なのは、人の課題に土足で踏み込んでいることを「本人にとってよかれと思ってのこと」と正当化し、踏み込まれた側も人間関係を悪くしたくないから我慢してしまうことですが、このことに双方が気付いていないことって意外と多いと思います。

 

幸運にも気付くきっかけがあったなら双方が「変わる」努力をすることが理想ですが、これもまたそう簡単なことではありません。でも、その人との人間関係が大切なものであるならば「変わる努力」は必要です。

「嫌われる勇気」の中では「人は変われます。のみならず、幸福になることもできます。一人の例外もなく」と冒頭で言い切ってます。

 

「嫌われる勇気」の最後の方に「人生の意味とはなにか?」「人はなんのために生きるのか?」という問いに、アドラーは

「一般的な人生の意味はない」と答えたというエピソードが紹介されています。

そしてアドラーは「一般的な人生の意味はない」と答えたあと「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」と続けたそうです。

 

よい読書体験をさせていただきました。

考えることがたくさんありました。