昨年は、長い間、疎遠だった両親が、高齢となったこともあり、しばらくの間、福島の実家に戻っていました。
子供たちは、学校のこともあるので、東京で生活し、
私が週末に東京に戻るという形を取りました。
正直、昨年のその生活で私の体力的に非常に辛くなったことは事実です。両親には、東京に来ることを提案しましたが、どうしても嫌だという返事でした。
福島にいる間は、実家の近くの薬局で働き、
医療ジャーナリストとしてのインタビューなどはリモート、必要なときは東京に戻る生活は、思うように仕事ができない時もありました。
私は、母として子供たちの将来も考えなければいけません。実家の両親は、福祉や地域支援も受けることができます。
なので、東京に戻り、子供たち中心に考えることにしました。
しかし、両親は、最近も
「矢吹に戻ってこい」
と言い、あまりにも自己中心的で腹が立ちます。
過去、私が大変な時に知らん顔だった両親。
離婚後、引越しの際、シングルマザーは、保証会社だけではダメで保証人が必要と言われた時に両親にお願いした時も
「お前が家賃を滞納したらお父さんたちが支払うことになるから保証人にはならない」
と断った両親。
その後も、私が、経済的に困窮し、誰にも頼れないとき、両親にお金を貸してほしいとお願いしましたが、
「お前が死んでも関係ない」
と言われ、それから、ずっと疎遠でした。
昨年、私が実家にいる間にも、両親は私をタクシーとしか考えていません。病院に行く日に仕事を休んで送って行くのが当たり前と考え、
受診が終わるまで5時間以上も私を待たせることも当たりまえと考えている両親は、ただわがままなだけだと感じます。
もちろん、介護の問題を無視していいとは思っていません。
しかし、介護を受ける年齢になったら、家族の将来も考えるべきだと思うのです。
まして、実家の両親は経済的にも豊かです。
地域支援やヘルパーさんに不満を言い、
いつでも自己中心的な両親に本当に嫌気がさしてしまいました。
私には、子供を育てる責任があります。
体も一つです。
だから、私はもう両親の介護は、地域支援、お任せすることにします。
それに兄がいますし、私はもう自分ができることはしました。
実家との関わりには、嫌な思い出しかありません。
今の時代なら父は虐待で逮捕されていたと思う行動ばかりです。
そして、殴られる私を黙って見ていた母も同罪だと思います。
私は、実家とは縁を切ったつもりで生きていきます。
兄とも疎遠です。
どこに住んでいるかも知らされていません。両親があえて私に教えないのです。
兄とは、20年以上、会っていないと思います。
正直、顔も声も忘れました。
ひとつだけ鮮明に覚えている兄は、小学生の頃、私が父に馬乗りになって殴られていた時、
「えりが死んじゃう!お父さん、止めて!」
と叫びながら父を止めてくれたこと。父に殴られ呼吸困難になった私の背中を摩ってくれたことを覚えています。
私の生い立ちは、母のネグレクト、父の暴力でとてもネガティブなものでした。
何度も死のうと思ったことがありますが、頑張って生きてきました。もう、両親に私の人生の邪魔をさせません。
暗い話になってしまい、ごめんなさい...
あまりにも悔しく、ブログに書いてしまいました。
これからも頑張っていきます。
記事もよろしくお願いします。
https://biz-journal.jp/2022/04/post_291272.html