草枕に想う
今日は実習先のNPOでイベントがあり、1芸披露を求められるのが必至な状態得あった為、
昨夜、無芸な私が思いついたのは文学の朗読。
それも詩は余り読んでいないので卒論テーマの漱石から、「草枕」の書き出し部分を抽出して
高校時代に放送部でならした朗読を練習。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬとも鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺縑なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
これはプロのアナウンサーに朗読させても難しいと想う。
呂律が回らない。
しかし結局、朗読の場はありませんでした( ̄_ ̄ i)
卒業して20年。
改めてこの一節を読み返してみたとき、自分が到った考えと一致を見ているのに気づきました。
幸せと不幸の量は同じ
漱石の時代から1世紀を隔てた私が共感しています。
人と関わると関わった分だけ、幸せも不幸も多くなる。
ならば、なるべく人と関わらず、幸せを求めない代わり不幸に会わないで、周りに美しいものを置いて眺めながら、静かに暮らすのも一興などと後ろ向きな考えが頭に擡げて来る。
しかし、どうやら私のDNA(本能)には「人と関わって幸せを求めなさい」と書いてある。
癪な話だが、PCのプログラムなら幾らでも書き直してみせるが、DNAは専門外だ。
漱石は齢50にして胃潰瘍で亡くなった。
人間50年。
私には必要にして充分な期間に思える。
2014年に私は50年を迎える。
漱石の様に胃潰瘍で死ぬ事はない。
胃潰瘍で死ぬなど、これほど苦痛に満ちた死に方は癌ぐらいしかないだろう。
しかし、最近は癌も治る。
私は死ねない苦しみの到来が不安だ。