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高浜原発運転差止差止判決~裁判官山本義彦の法の名の下の無法

今回の大津地裁の差し止め判決が一昨日に出ました。実はこれって、大変問題だらけの判決なんですよ。判決内容をご存じの方は引用以下からお読みください。

「関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)は安全性が確保されていないとして、滋賀県の住民29人が再稼働差し止めを求めた仮処分申請で、大津地裁は9日、関電に運転差し止めを命じる決定を出した。山本善彦裁判長は「過酷事故対策などに危惧すべき点があるのに、安全性の確保について関電は主張や証明を尽くしていない」と判断した。仮処分決定は直ちに効力が生じるため、関電は運転中の3号機を10日に停止させる。高浜3、4号機の差し止め決定は昨年4月の福井地裁に続き2件目。運転中の原発を止める仮処分決定は初めて。関電は決定を不服とし、異議と執行停止を申し立てる。3号機は10日午前10時から出力を落とす作業を始め、同日午後8時に停止する予定。山本裁判長は決定で「東京電力福島第1原発事故の原因究明は道半ばだ」と指摘。事故を踏まえた新規制基準の過酷事故対策について、「関電の主張や証明の程度では、新規制基準や(原子力規制委員会が審査で与えた)設置変更許可が、直ちに公共の安寧の基礎になると考えることをためらわざるを得ない」と述べた。 (時事3月9日)

これを原告団は「画期的判決」などと歓喜していましたが、確かに、確かにですよ。これは「画期的」なことには違いありません。

http://news.ameba.jp/20160309-632/

原告団がたいそうお喜びなところを、水を差して申し訳ないのですが、いいでしょうか、落ち着いて、よ~~~~~~~~~く、考えてみて下さい。

そんなに手放しで喜べることか、どうか。

上級審は保守的だから覆るさ、という人がいますが、そういうことではありません。

仮に下級審の裁判官が別の人で、その人がこの山本善彦裁判官や、かつての樋口裁判官のような反原発思想を持たない場合、どうなるか?

規制委員会は活断層に注目していて、それを再稼働承認の指標にしていることは、承知の通りですね。

その是非は置いて、敦賀や志賀原発の下に活断層があることは間違いありません。

規制委員会が、この活断層を理由に再稼働停止を命令したとします。

これは原子力規制委員会の行政権限による正当な行政行為です。

これに対して、電力会社が猛然と抗議し、地裁に行政措置取り消しの仮処分申請を出すかもしれません。

例えば!たまたまその担当判事が、モーレツな原発推進派で、彼は「オレは断固としてこんな理不尽な再稼働禁止なんか、認めないゾ。ファックユー、規制委員会!」等と秘かに思っていた人物だとします。

彼はたった4回の審理で、ろくに専門家も呼ばず、安全基準の検証などきれいさっぱり無視して、出した判決はこうでした。⬇

①安全基準は地震について不必要に厳しすぎて合理性を欠き、適合しなくても安全性は確保される。

②安全の立証は電力会社にあるが、電力会社はその立証責任を果たしていると認める。

③電力会社の主張及び疎明のていどは、新規制基準及び本件原発に係わる設置許可は、直ちに公共の安寧の基礎を脅かすとは考えられない。

④耐震性能に関しては、当裁判所には充分な資料が届けられていると認める。

⑤大規模な津波が発生するとする科学的根拠は疑問なしとはいえない。

⑥避難計画は充分に練りあげられており、自治体との連携も信頼に足りる。


http://www.asahi.com/topics/word/%E5%A4%A7%E6%B4%A... 樋口判決に喜ぶ原告団

気づきましたか?この架空判決は、大津地裁山本判決をそっくりそのまま裏返したパロディです。

※大津地裁判決の全文はこちらからどうぞ。


http://www.nonukesshiga.jp/wp-content/uploads/b6c5742c4f89061d95ceb8a0675877e2.pdf

ね、おかしいっしょう?裁判官の思想の色合いごとに、原発は動いたり、止まったりするもんなのでしょうか。

ではどこがおかしいのか?
本来、原子力安全行政の権限を持つはずの原子力規制委員会や規制基準の頭越しに、裁判所が原発の運転の是非を決めてしまってることです。

これでは、まるで原発の再稼働権限は、ただの裁判官の個性や思想に左右される属人的なものになってしまいます。

今回、山本裁判官がやったことは、再稼働について唯一権限を与えられた行政機関の規制委員会の決定を、地裁が簡単に覆してしまったことです。

規制委員会の決定は、政府はおろか、国会ですら取り消すなんて出来ないんですよ。それをただの地裁が、短期の審理で覆したのですから、確かに「画期的」ではありますが。

福島事故の時の、とーしろー政治家(ナオト・クレイジー・カン)の事故処理介入による混乱を反省して、政府は任命権者であっても、指導することはできない独立した機関を作ったのです。

それをなぜ下級審の一裁判官ごときが、いとも簡単にできてしまうのでしょうか。このような行為を、越権行為、あるいは「法の名の下の無法」と呼びます。

山本裁判官は、規制委の独立性を侵害することで、せっかく出来た福島事故以降の大事な総括をひねり潰したのですから。

なので、山本裁判官にとっては、規制委員会の新安全基準など「緩やかにすぎて合理性を欠き、適合しても安全性は確保されていない」と簡単に退けてしまっています。

おいおい、なんというとーしろーのゴーマンさだよ。

原子炉の専門家が営々と2年半築いてきた知見に基づく新安全基準を、とーしろーでしかない裁判官がたった4回の審理で全て「理解」し、「全否定」して、もう一度作り直せとでもいうのでしょうか。

あるいは安全基準などなくていいとでも言いたいのか?山本!

http://www.datsugenpatsu.org/bengodan/news/15-04-2... 川内原発訴訟判決に怒る原告団

ではここで、別な裁判所の意見も聞いてみよ~。

同じく川内原発の再稼働差し止め訴訟を持ち込まれた鹿児島地裁はこう判決文で述べています。

「専門的知見を有する原子力規制委員会が相当期間、多数回の審議を行うなどして定めたもの」で、「最新の調査・研究を踏まえており、内容に不合理な点は認められない」

「安全基準の適否など裁判所が判断すべきではなく、規制委員会の判断に任せるべきことだ」と言っているのです。

あまりに常識的で、逆になんでこんな簡単なことが山本にわからないのか不思議なほどです。

実はこの鹿児島地裁は、最高裁判決に準拠しています。

最高裁は既に、原発稼働についての司法権限について判断を下しています。

それが1992年の四国電力伊方原発の原子炉設置許可取り消しを求めた訴訟です。

ここで最高裁は、訴えを退けてこう述べています。

「裁判所の審理、判断は、原子力委員会若しくは原子炉安全専門審査会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきである」

例によってまわりくどい法律的表現ですが、こういうことです。

裁判所の判断は、当該の行政機関の判断が正しくなされたかどうかを判断するだけなのですよ、ということです。

別な箇所で、最高裁はこうも言っています。

「現在の科学技術水準に照らし、(略)調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政庁の判断に不合理な点があるものとして、(略)違法と解すべきである」

市民語に翻訳すると。「行政機関の判断が違法だと言える場合とは、調査や審議のプロセスで著しい過誤があった場合だけです」ということです。

この伊方判決について反原発派は、「現在の科学技術水準」を超えた事態が起きたのが福島事故だったんだから、伊方判決なんかダメだと批判しているようです。

すいません。別次元の話を混同しています。

最高裁が言っているのは、司法の権限の及ぶ範囲の話で、科学技術水準の知見ではありません。ごちゃ混ぜにするな!と。

当然、科学的知見は将来さらに拡大するでしょう。しかし、それは司法がうんぬんできることではなく、あくまでも専門家たちが考えて、規制委員会という行政機関が判断すべきことなのです。

所詮、法律だけしか勉強してこなかった専門バカが、世間知らずで貧しい専門知識すらない裁判官にそんな「現代科学技術水準」などとやかく言う資格なんてねぇんだよ。という話ですよ!

裁判官ができるのは、最高裁が言うように「専門機関の審議の過誤」だけにすぎません。

どういうわけか、弁護士とか裁判官という種族は、よほど自分が賢いと思ってんのか、何にでも上から目線でエラッソーにくちばしを突っ込みたがる悪癖があります。

今回でいえば、規制委員会の安全規制基準が緩いかどうかなど、誰も聞いてへんわアホンダラ!と(何故か関西弁)。

あくまでも司法に可能なことは、規制委員会の審議に過誤かあったかどうか、というプロセスに対する判断です。

裁判は属人主義であってはなりません。あくまでも司法が判断できる範囲をキチンと定めて、その範囲内での判断に徹するべきである。という話です。

でないと、反・反原発の裁判官が出ると、いくら危険な原発なので規制委員会がノーと宣告しても、裁判官の一存で自由に動かせることになってしまうからです。

原告団の皆さん(中にはプロ市民もいるかな?)、裁判官が替わるごとに「司法は生きていた」と感涙したかと思えば、「私たちは屈しない」と怒ったりしなければならないわけで、これでは身体が持たへんわ(またも関西弁)。

チャンチャン!