8月15日、73回目の終戦記念日を迎えた。
今は亡き実家の母親は、ポツダム宣言受諾を申し入れ無条件降伏したこの日のことをいつもこう語った。「玉音放送を聞いてから、家に帰って布団を敷いて寝たの。もう空襲がないから安心して眠れるって思ったからね」と。
母にとって、平和とは空襲警報に怯えずに眠ることを指したのである。そういう経験を持たない私は、何を基準にして平和について考えるべきなのだろう?…(ニュース記事から)平成最後の終戦記念日を迎えました。戦争体験者が高齢化。戦争を必ず体験したである祖父母から戦争の話は聞いたことはありません。
語るのも語らないのも自由です。祖父母の兄弟で戦死された方がいます。よその国で若くして亡くなりました。息子を失う悲しみ、弟 お兄さんを失う悲しみ。それぞれ口には出せない思いもあります。 こんな山奥に?人の手が入ってない場所かと思うようなところにも空襲の跡があったりします。お国の為にと散っていった命 空襲や貧困、この戦争で亡くなっていった尊い命は、(行方不明の方々含め)はかり知れません。

次の年号に変わっても私は昭和生まれ、中3まで昭和でした。昭和の人間、昭和を愛し、惹かれます。昭和生まれの私が昭和に起きた戦争を忘れたら…私的には恥と感じます。(それぞれに個人差があります。ごめんなさい。)74年目も変わらない想いを、生きてる限り忘れないことを誓います。
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