インドネシアに住んでいたことがある。
父の仕事の都合で、もうだいぶ前になる。
その時に現地の人の歴史観なんかを聞くことができた。
インドネシア人が現地の学校で勉強したインドネシアの歴史を教えてもらった。
インドネシアはオランダの植民地支配の後、日本に占領され、支配下におかれていたと習ったそうだ。
そして少なからず、日本人に対していいイメージを持っていない人がいることも知った。
戦時中ではなく、戦後、(おそらくバブル期の)日本人の言動に対して。
これを、今の仕事場でお客様を話する機会があるので話してみたところ
「インドネシアは反日ですか?」
と返ってきた。
なんだか悲しくなった。
反日だとか親日だとかいう言葉が一般に浸透していることも
その一言で、特定の国家に属する人の思想や価値観を決めつけてしまおうという考え方が当たり前のようにあることも。
現に私は当時(中学生だった)、インドネシアの人がそういう教育を受けていることを知って、自分が日本人としてそのように見られているかもしれないことを認識して、凄くショックだった。
(ちがう、日本人は確かに酷いことをしたかもしれないし、日本のしたことはインドネシアにとって支配だったかもしれない)
(だけど、自分は日本という国家に属して日本人として存在するけど、インドネシアの人を見下したり酷いことをしたりする輩と同じに見てほしくない)
(自分はそういう日本人とは違うし。そうじゃない日本人もたくさんいる!)
そう強く思った。
軽々しく「反日」「親日」という人にも知ってほしい。
どの国にもそういう人もいるし、そうじゃない人もいるのだ。
特定の思想によって集まっている団体ではなく、ただその土地に産まれ、その国の教育を受けて育った人が同じ思想・価値観になるというのは暴論だ。
少なくとも
同じ日本人が、同朋が、そのようなごく単純なことも理解できずにただ
「反日だ」「親日だ」などと軽率に区別してしまおうという姿勢が
腹立たしく、恥ずかしく、情けないのだ。