子供のころ、ひじきはどちらかというと嫌いに分類される食べ物だった。
ところが、年とともにひじきの美味さが染みてくるようになり、今では好物の一つだ。
逆にケーキなんかは、大人になったら働いて稼いでたらふく食べてやろうと思っていたのに、今では2個も食べられなくなってしまった。
20代はじめ頃、加古隆の「大河の一滴」をいたく気に入り、その曲が使われている映画の「大河の一滴」を観た。
くそつまらなかった。
音楽がこんなにいいのに、なんて映画だ。と、原作を読みもしないのに憤慨した。
しかし、どうもあの映画は心の中から消えなかった。
加古隆の「大河の一滴」は名曲だ、というのもあるかもしれないが、内容も映像も、どこかにひっかかって人生とシンクロして消えないのだ。
映画が酷かった(という評価だったので)原作も読まずじまいだったが、もしかしたら若いうちに知るべき作品ではなかったのかもしれない。
今度、時間ができたら原作でも読んでみよう。
映画の再視聴は…それから考えよう。
そう思うようになった。
ちなみに
山本周五郎の「雨あがる」は彼の作品の中でも大好きなもののひとつなのだが
黒澤明の遺作「雨あがる」は酷かった。
雨が上がるタイミングがそもそもズレてるのだ。それでは意味がないのだ。
本当にリスペクトしてんのか?と思うほどだった。
それでもレビューを見ると手放しで褒めたたえているのが多く、正気か?と思った。
きっと私がおかしいのだろう。
映画というのは、ストーリーよりも俳優の演技や美しさを観るものなのかもしれない。
おかげで映画「雨あがる」は何も心に残っていない。
…ということは
映画「大河の一滴」は良かったのかもしれない。
年とともに、ものの評価は変わるものだ。
ひじきでありケーキなのだ。