毎日投稿3日目!

今日は私が1番辛かった中学時代について書こうと思います。

前回の小学生編でも書いたように、同級生とのズレを感じたまま入学したので、楽しみよりも不安の方が大きかったことを覚えています。

しかし、

親友ができました!この親友は今でも帰省する度に遊んでいます。博士ちゃんに応募したのも、親友に「やってみたら?」と言われたからです!

親友ができて、本当によかったなーって思います!

私の中学時代は親友無しには語れません。なぜなら、部活の顧問の先生からの嫌がらせを3年間、親友と共に乗り越えたからです。

私は中学時代は美術部に所属していました。理由は学校が好きではなかったので、土日に活動がない部活動がよかったことと、とても不器用で絵が苦手だから少しでも得意になりたかったです。

私が通っていた中学校は基本的に3年間部活動は転部できません。よっぽどの理由があったら、顧問、担任、保護者、生徒と4者面談をして転部できると聞いていました。だから、転部は気軽にできることではありませんでした。また、部活動には必ず入らなければいけないので帰宅部にもなれません。

めっちゃ入りたい訳ではないけれどどれかには入らなければならないということで美術部に入部しました。

ここからが、私の辛い時間が始まりました。
親友と一緒に毎日顧問に叱られ続けました。小学校ではほぼ怒られたことがなかったため、中学校は厳しいんだな〜と思っていました。
しかし、段々と違和感を感じ始めました。

1年生の1学期は行動のことで怒られました。何をしていいのか、何をしてはいけないのか分からなかったから指示を待っていました。これは私にも非があると思います。2学期以降は、性格のこと、顔のことなど何をしても学校にいるだけで怒られるようになりました。
これが卒業するまで、毎日続きました。本当に辛くて、部活動に行きたくなくて、でも行かないと怒られるというループになり中学校が大嫌いになりました。今でも顧問の先生の写真は見れません。

顧問の先生はもう覚えていないかもしれません。でもわたしと親友は覚えています。これは、きっとどんなことにも言えることです。やった側は覚えていないけど、やられた側は覚えている。
しかも、いい記憶よりも悪い記憶の方がなかなか忘れられないこと。

私はとても大切なことを顧問の先生から学んだと思います。私は誰かの悪い記憶でいつまでも残るような人にはなりたくないです。
このことに気がつけたことが、私の中学校生活でした!

今、なにか辛いことがあってもきっとそれはなにか意味があるんだと思っています。中学校は3年間という期限がありましたが、もしかしたら先が見えないぐらい長い辛い期間があるかもしれません。その時にもきっと私は乗り越えられるし、乗り越えようと頑張ると思います。

根拠はないけれど自信があります笑

中学生時代に博士ちゃんに出演して、ベビーカー好きが認められていたらまた違ったのかなとたまに思います。ベビーカーが好きな変な人として扱われた時間は悔しい思いもたくさんして、しんどかったです。

今日は少し暗い話になってしまいましたが、次の高校時代は明るい話になります!

最後まで読んでくださりありがとうございます😊

また次のブログでお会いしましょう!