彫師の人生part6(独立編) | ストローカータトゥー横浜の舞台裏

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KANですドクロ

Part5のつづきです。

こうして2003年、ストローカータトゥーが誕生することになります。

こつこつ貯金するタイプではなく、すべて飲んでしまうお酒性格(笑)でしたので、まとまった金も当然ありません。


仕方がない!愛車ハーレーをちらり...
そして売られてしまったハーレー君(涙)→

塗装にピンスト、革シート...せこせこ自分で仕上げた愛着のある彼ですが、ゴメン汗


無事契約を済ませ、さて店づくりドア
古着屋の時から内装は自分で...が鉄則で、これが楽しい!自分にとっては、これもイメージを形にするデザイン作業なのです。

今は2階にあるスタジオですが、初めは1階で、前半分レザークラフト(革)ショップ、奥半分がタトゥーブースというスタイル。
※この当時を知っているお客さんとはもう4年以上の付き合いです☆

この先の人生、その全ての責任を自分でとらなければいけないのが、独立叫び

けじめとして、以前のお客さんも一切引き継がなかったので、将来の保証ももちろんない。
終わりなき戦いです!

でも不安ナシ==☆甘いも苦いも、いろいろ経験してきましたから!ガッツだけはありましたグー

ブログには書けない失敗のほうがあまりにも多いけどね...(笑)。

幸い、ストローカーを気に入っていただけるお客様がたくさんいらっしゃって、今があります。みなさん、ありがとうございます(_ _)

こんなこともありました。

ホームページを見て、「デザインが気に入ったので...」とのことで電話予約をいただいたお客さん。

当日会って「今までにどこか彫ったことあります?」と尋ねたら、「あります」と手の甲のtattooを指差す。

あれっ、どっかで見た記憶が...。しかもかなり昔。

お互い顔を覚えてなかったのですが、「これ俺が下北沢で彫ったものだね」「えっ、そうですか!」なんて( ̄□ ̄;)!!

不思議な縁を感じた出来事でした☆

翌年、彫場も狭くなってお客さんにも迷惑をかけてましたので、2階が空いたこともあり、引っ越し。

良い仲間にも恵まれ、ここ港北ニュータウン晴れでじっくりと仕事をさせていただいております(_ _)

6回にわたり、「どうして彫師になったのか」を簡単に書き綴ってみました。

「フン、彫師って意外と普通ね(  ̄っ ̄)
そう思っていただければ、コレ幸い(笑)

気楽にドアを開けてもらえれば、もっとtattooライフが楽しくなるでしょ?

舞台裏ブログ、まだまだ続きますカチンコ