付き合うということはどういうことを意味しているのだろうか?昨日復縁したはずの彼女に会いにいった。ずっと遠距離のまま続いていたはずのお付き合いが一回ダメになったが、その後、どちらからともないが、アプローチのような連絡があり、お互いにまた気になり出し、自分の方から元に戻れないか、と言った。勿論電話越しでだか、良いよ、と返事をくれた。
しかし、この軽そうに見えてしまう復縁の仕方がまずかったのかもしれない。

結局は別れた。対面し、お互いに意見をし出た結論だった。自分は遊びに行くだけを考えていて、いつの間にか元に戻ったな、というくらいで続けていきたかった。煩わしい話をするのが嫌だった。あの張り詰める感じの空気の中で話すのが嫌だった。
けど、彼女はハッキリとさせたいんだと思った。自分はそこから逃げていたんだろう。言われるまではそんなこと必要ない、楽しく一緒に過ごせればそれでいいじゃんか、くらいな気持ちだった。まあそれが軽く見過ぎていたということ。都合良く考えていたということ。ダメだと思う。

本当にしっかりした人だった。多分彼方から話し合いの機会を作って貰えなかったら
、ダラダラと付き合っていたし、もし結婚にまでなろうと、簡単に離婚してる。責任を考えていない関係になっていた。学生ではないから、楽しいことだけでは生きていけない。それを彼女は承知していた。

楽しく過ごすことばかりに目を向けていた。しかしそれは自己中心的なことだった。支え合うということを蔑ろにしていた。社会人でのその姿勢はもう先が見えてこなかった。

話し合いの機会があったことで、自分も本当の気持ちが鮮明になっていった。しかし今スッキリするくらいに自分の気持ちを理解したかというとわからない。けど、男女の交際として付き合う人じゃなかった。と思う。


自分の好きな人への条件というものがあった。一緒にいて落ち着く人ということ。家族のような気を使わない、のびのびと暮らしていける人。しかし、彼女は違った。こうもっとキュンキュンするような、燃え上がる感情が自身の中に押し迫ってくるような人。

その意見を言う気持ちも分かった。分かったからこそ、この人じゃなかったなと思った。落ち着き過ぎていた。一緒にいて楽なのは確かだったけど、それは友達だって言える。特別な関係だからこそ彼女のいったキュンキュンする気持ちが自然と押し寄せてくるもの。それがないと言われたし、自分もなかった。

別にクリスマスが寂しいから復縁しようと思ったわけではない。あちらからの不意な思わせぶりな連絡もあったし、それで自然と彼女のことも考えるようになったし、偶々この時期になってしまっただけ。彼女作るのに手取り早いなんて考えてない。誰でも良かったなんて思ってないし。本当に気が合うから一緒にいたいな、と思っただけ。しかし、彼女としてでなくとも成立したんだな。誰でもいいんでしょ、と言われたのは納得はいかなかった。

色んなことが分かった1年半だった。しかし自分の中で、好きとか、付き合うということがもう分かんなくなっている。あとへもう時間の流れに任せるしかない。付き合う必要があるのかもわからない。必要性とか語ってるところで、それは好きっていう感情じゃなくて、体裁を気にしているだけの、ステータスとして考えているだけのことに過ぎない。それを覆すほどのことがあってほしいな。