以下の文章は、ある踊り子さんに恋をしてしまったときに書き上げた、私の心の整理箱です。こっそりお見せします(^0^)

 

 

 ストリップを観ながら、自分の中にスケベな「エロ親父」と純粋な「少年の心」が同居しているなと思うことがある。ジキルとハイドみたいなものか。

 かぶりつきで観たいというのは「エロ親父」的な欲求であるが、一方、踊り子さんに対してセックス・シンボルというよりは凄く純粋な憧れ、神聖な感情を覚える。そのため、エロポラは撮らない。また、エッセイやお手紙を書いて渡しているわけだが、これも私は単なるエロ親父じゃないよと言いたいからかもしれない(^0^)。

 

 私はストリップ・ファンとして、踊り子さんとは一定の距離を置いてお付き合いすべきだという自論をもっている。ある線を踏み越えてしまうとファンとして応援しずらくなるから。以前ある踊り子さんから携帯番号やメール・アドレスを頂いたことがあるが、気に入ってもらえたのは凄く嬉しかったけど、自分から連絡することはない。

 

 ところが、ある踊り子さんに恋をしてしまった。この歳にして。

 ステージを観て一目惚れ、お手紙の交換も楽しかった。しかし、そこまではよくあること。彼女を気に入ってから、アパートの机の上に彼女のポラ写真を飾ってしまった。単身赴任の淋しい身、毎朝毎晩彼女の明るい笑顔を見ているうちに脳裏から離れられなくなった。彼女のベッド・ソングが気に入って、カラオケで憶えようとしたら、聴いているうちに涙が出てくる。あぁ~、これは間違いなく恋に落ちたと実感。

 同じストリップ仲間で、彼女の共通のファンの方と、よく彼女の話題をする。彼女のビデオの話が出るが、私も見たい気持ちは山々だが、話を聞いているととても見れない。インターネットで出演ビデオを検索したら内容やサンプル写真に唖然。私の中の「少年の心」が泣いていた。ファン仲間からも、好きになったらビデオは観れませんよねと同情される始末。

 人を好きになれば会いたくもなるが、踊り子さんとは出演がないと会えない。

悶々とした日々が続いた。

 恋に落ちる前の「ときめき」は楽しい喜びだが、恋が成就しないと苦痛が襲ってくる。そのため、そうした恋愛の束縛(苦痛)からの解放作業を行わずにいられなくなる。

 そこで、「踊り子さんを好きになっても致し方ない」という自分への納得作業が始まる。いろんなことを自問自答した。

 

AVは彼女の仕事である。イメージ・ビデオのような綺麗なものだったらいいのにと思うが、売るために過激なものを要求する事務所の思惑もあるだろう。

冷静に考えたら、彼女がAV女優だからこそ、こうして出会えたわけである。出会えて、応援できる喜びを神に感謝すべきだ、と考えるようになった。

 

 私には女房がいる。女房は私のストリップ通いを容認してはいない。

 ストリップは浮気ではないと思っているから、女房への後ろめたさはない(まったくないと言えば嘘になるが)。しかし、これだけ彼女に入れ込んでしまうと、女房に対して申し訳ない気持ちになってくる。

 彼女を追っかけたい気持ちもあるが、私は家庭持ちの社会人として常識を越えたことをしてはいけないという自制の念が湧いてきた。

 家庭が「やすらぎ」の幸せであるならば、ストリップは「ときめき」の幸せ。「やすらぎ」は永遠であるが、「ときめき」は一瞬である。

 ストリップで、ときめきを感じさせてくれる方のステージはいくら観ても飽きない。いつまでも観ていたいと思う。仮に、彼女目当てで劇場に行き、他の踊り子さんに全く興味がなかったとしても、彼女の1日4回のステージを観れただけで十分満足する。待ち時間なんて全く苦にならない。

 ときめきを感じさせてくれた、その踊り子さんに心から感謝したくなってきた。

 

  また、彼女のお陰でいろんなことを考え、いろんな文章を書けた。私は本質的に自分は‘もの書き’なんだと思っている。だから、こうした思索・文筆に快感を覚える。読み返すことでまた胸がときめく。こうした文章を残せたのも彼女のお陰である。いつか、彼女のことを題材にして、ストリッパーへの恋物語でも書けたらなぁとまで思っている。

 

そんなこんなと自分への納得を繰り返し、次第に悶絶感が薄らいできた。

一応、自分なりに気持ちの整理がついたと思い込み、次の出演劇場に向かうことができた。

しかし所詮、恋とは自己中心だなと思う。自分だけが納得できればそれで済むものなのか。そんなことが頭を過ぎっていた。

 

次の劇場で彼女の応援をしていて、あることに気づいた。

彼女には多くのファンが増えてきて、ファン同士が一緒になって応援している。遠くから彼女の応援に駆けつけたファンをファン仲間が気遣っている。そしてみんなで盛り上げようとする。

一般に、ストリップに来るお客は根暗のスケベが多いこともあり、独りで楽しみたがり、横つながりを求めようとはしないもの。ところが、彼女を始め、最近のトップ・アイドルの踊り子にはファン同士の結束が自然と出来上がっている。ストリップの応援における新しいウェーブではないかと私は感じている。

私が彼女の熱烈なファンであることを彼らは知っていて、親しげに声をかけてくる。

つまり、彼らは彼女を独り占めしようなんて全く考えず、彼女のために、みんなで応援しようとしている。私のように、個人的に恋心を抱くようなレベルではなく、もっと純粋なもの。ただひたすら大好きな彼女の喜ぶ顔が見ていたい、そんな感情だと思う。

見ているだけで満足する幸せ、彼女がステージで幸せそうにしている姿をじっと見守ってあげる幸せ、そんな愛の形もあるのかなと思えるようになった。

踊り子というのはストリップ界の「商品」である。ストリップ関係者が商品に手を出してはいけないように、お客にとっても商品は恋愛の対象外なのである。ブラウン管のアイドル崇拝と同じく、踊り子はみんなのもの。劇場内の擬似恋愛はかまわないと思うが、こと1人の客の恋愛対象であってはいけない。

そこまで考えるに至り、ようやく彼女に対する気持ちがきれいに整理でき、一ファンとしてこれまで通り応援しようと気持ちを新たにした。

 

 

平成19年6月