民族意識の起源と象徴 | ガット張り専門店 Kiitos のブログ

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日々おもう事を書き綴っています。

人間の争いの歴史を一番最初までさかのぼってみると、もはやそれはホモサピエンス的な原始時代にまで到達してしまう。


もっと原始のサルの時代から争いはあったかもしれないけど、人間的な欲のからんだ争いは、やはり人間になってからなのではなかろうか。



同じ言語や生活習慣を持つ集団を民族と呼ぶらしい。一番小さいのは家族かな。その次は群れかな。



原始の時代は純粋な生存競争として、民族同士の争いがあったのかなと思う。

食べ物とかナワバリとかを獲得するため、あるいは守るため。


結局争いが一番最初に起こるのは、隣人とのそれだろうと思う。


少しずつナワバリを広げるなら、自分を中心にした同心円状に広げようとするのが普通だろうから。

だとすれば一番最初に戦うのは、一番近くにいる隣人だ。



争いの最初のきっかけは、ナワバリの境界線をちょっと踏み越えてリンゴを取ったとか、ちょっと川の流れを変えちゃったとか、そんな感じのいさかいだろう。


しかしながら小さないさかいも、積もり積もると爆発しかねない。

なにかのひょうしに爆発したら、火矢でも放つかもしれない。

キレて火矢なんて飛ばしたら、死人がでるかもしれない。


もうそうなってしまったら、報復の連鎖は止まらない。



想像しただけで悲しい。




日本だけじゃなく世界中の歴史で、「領土を広げて勢力を伸ばす」とは、「隣人を殺していく」ということだ。

剣で、鉄砲で、核爆弾で…。


殺し合いをしなければ何も得られない世の中だったのだ。

いや、いま現在も…。



生きることさえ保証されない子供たちが世界中で泣いている。


ニュースでちらっと見聞きするだけで、本当に胸が苦しい。




スペースシャワーのCMが現実になればと思う。

武器を持って周囲のすべてを破壊していた人形たちが、ふと流れてくる歌の魔法で武器が楽器に変えられていく。すると互いを傷つける争いはみんなで奏でる音楽へと変わっていく。



ブラジルの少年兵が持つ鉄砲をギターに、ガザの過激派が持つ手榴弾をクラリネットに、アメリカが持つ核爆弾をパイプオルガンに。



人殺しの武器が全部、楽器に変わればいいのにと思う。




思えば、どんな小さな部族にも古くから伝わる民族音楽が存在する。

民族音楽は宿望の象徴なのだ。



僕は楽器が得意ではないけれど、戦争が音楽祭に変わる瞬間、大歓迎だ。