ようやくストリング5月号が下版した。今月は実に厳しかった。予定していた記事が、先の号になったり、新たな記事が入ったり、広告が突然入ったり(勿論有り難いことだ)……書いていて、これは毎月当たり前のように起こることだな、と思ったが、それでも今月は、なんか厳しかった。ブログを書く時間も無かった。無いことはないのだが、気持ちに余裕がなかった。この気持ちというのは、何に例えると理解していただけるだろうか。一歩踏み外したら転落するような崖っぷちを歩いているような感覚? あるいは、海底で、じっと潜んで、爆雷の攻撃に堪え忍んでいる潜水艦に乗っている感覚(勿論、経験はないが)? 爆雷で思い出したが、この体験をした人は、人生で怖いものは無くなったらしい。 あるいは、明日コンサートの本番なのに、何もさらっていないことに気づいたときの感覚? 考えてみれば、毎月必ず何かしらのトラブルはある。思い返してみると、そのトラブルの多さと重みに、押しつぶされそうになる。しかし、よく切り抜けてきたなぁという感慨もある。忘却は有り難い人間の特性だ。うまく回転し出すと、ジェットコースターに乗っているようなダイナミックでスリリングな展開になる。 こういう時の感覚は苦しくも快感である。別にMではない。その趣味はない。ただ、トランペットを吹いているときは、多少Mかもしれない。当代随一のトランペッターであるエリック宮城さんが、トランペッターは多少Mなところがある、と土屋賢二先生のヤマハ銀座のスタジオでのライヴで言われていたが、分かるような気がする。モーツァルトのシンフォニーや管弦楽作品でトランペットを吹いていると、オーケストラを邪魔してはいけない、でも、気づかれない程度に、オーケストラのサウンドを締めなければいけない、しかも、皆にちょうど心地良いくらいに、トランペットが聞こえていなければいけない。といった自己犠牲……。 でも音がはまると、これが快感。ほとんどMかも。