野球には、故意落球と俗に呼ばれているルールがある。規則6.05(l)0死1死で1塁に走者が居る場面、打者はフェアの飛球またはライナーを打つ。それを内野手がグラブに当てて故意に落とすと、審判は両手を上げて「タイム」を宣しボールデッドになる。打者はアウトで、各走者は元居た塁に戻る。
このルールは合理性に欠く駄目ルールである。(その1)落球に対して故意か過失かの判断を審判に任せるところ、(その2)打球がフェアなのに審判がプレーを止めているところ、(その3)アウトカウントと1塁走者の有無で打者に対する扱いを変えているところが駄目である。こんなふざけたルールは廃止にすべきである。
その1に関して、故意か過失か、それを他人が判断するのは出来るだけ避け、必要最小限に止めるべきである。何故ならば、その証拠は行為者の頭の中にあり、他人が判断するのは難しいからである。疑わしきは飽くまで過失であり、「わざとやりました」と自白する事が唯一の証拠となる場合は過失が原則である。審判が故意だと判断しても、それは審判の恣意であり、基準が曖昧で、証拠を欠いている。そして、そもそも故意か過失かが本質的なのは、何か痛くて苦しくて悲しくなるような損害が出たときに、それが誰か他人の悪行為に起因していて、その悪い事した人に責任が生じる場合である。つまり、加害者と被害者が居て、被害者が事件に巻き込まれて辛くなるような損害がのし掛かって来たとき、その原因が加害者の行為にあると、加害者に対して「あなたのせいで私はこうなってしまった」「悪いのはあなただ」などと被害者は責め咎め賠償や処罰を求めるときに故意・過失の判断が重要になる。何故ならば、わざとやったかミスでそうなってしまったかで、その損害への対応が変わってくるからだ。わざとやれば対応が厳しくペナルティーが重くなり、ミスでそうなってしまったのなら温情が入り寛大な処分で済む。これに関する例で、野球でよく起こるのは死球である。ストライクゾーンを外れ打者に投球が当たれば1塁に進むのだが、この出塁は守備側の損害で投手の自己責任、自業自得である(投手は加害者であり被害者でもある)。だから、故意の死球だろうが過失(コントロールミス)の死球だろうが出塁に関する対処は同じ、どちらも1塁である。その一方、打者は石みたいに固い硬球を当てられて苦痛と危険を受けるといった損害が出る。この原因は投手に起因し、悪意を察すれば「わざと当てただろ」などと投手に向かって打者は責め立てたりする。ルールでも、死球に関しては故意か過失かで対処を変えるよう規則8.02(d)で明文化されていて、わざと打者の身体を狙って投球すれば退場になる。これは打者の安全に関する配慮と保証を目的としたルールといえる。だから、死球の故意過失に関するルールは概ね合理的である。しかし、落球の故意過失に関するルールはふざけていて馬鹿馬鹿しい。フライをそのまま捕ればそれだけで打者はアウトになり、しかもアピールアウトのチャンスが出来る。その状況下でフライを落とせば、打者を1塁に生かすリスクを伴い、送球・ベースカバー・触球・フォーメーション連携など捕球より難しいプレーを増やす羽目に合い、しかも、そこで焦り悪送球などエラーを誘発し新たな進塁も起こり得る。これは守備側の損害であり、野手の落球に起因していて、自業自得である。こんな自業自得の落球に対して、それが故意か過失かを審判の主観で判断しようとしているところが曖昧で合理性を欠く。
その2に関して、打球がフェアになればボールインプレーである。プレーの進行中に審判がタイムをコールするなど愚の骨頂であり、規則5.10(h)に反する。打球がフェアになれば、ヒットになるのか、打球の行方はどうなるのか、各走者はどのように進塁するのか、送球はどうなるのか、ベースカバーはどうなるのか、触球はどうなるのか、誰かがアウトになるのか、全てバットにボールが当たった後のプレーで決まる事である。ここでタイムをかけて止めその後のプレーを省き、「打者アウトで各走者はそのまま」と処置を決めれば両チームが揉めるのは必然である。攻撃側からすれば、「インプレーなら素早い走塁で全員セーフ」「悪送球やお手玉などで守備が乱れその隙を突いて得点も出来たかもしれない」などと主張するだろう。守備側からすれば、「インプレーなら打者も走者も皆殺しに出来た」「他の走者が生きるのは遺憾だ」と主張するだろう。インプレーなら全員セーフだ!→いや違う全員アウトだ!→セーフだ!→アウトだ!→セーフ→アウト→セーフ→アウト→・・・・・要するに水掛け論である。野球はスポーツであって、判定は身体的運動を駆使したプレーの結果というところに尽きる。タイムが掛かっちゃったが、もしインプレーだったならどうなったか、議論で決めるのならそれは会議室の中で行われる弁論上の勝負であって、スポーツの勝負とは場違いであり異質である。突発的事故が起こったならともかく、わざと落球した事を理由にプレーを止めるのはおかしい。
その3に関して、ルールは一貫性が大事であり、処置を全ケース適用できるよう網羅する事が理想である。どうしても例外が出て来てしまうは分かるが、例外はダブルスタンダードと表裏一体で、公平性を壊し差別を生む。例外は最小限度に止めるのが肝要である。1塁に走者が居ようが打球が地面に落ちたならゴロと同じで、ここから打者を殺すなら、打者が1塁する達するより前に触球しなければいけない。ゴロという事象に対して、1塁触球で打者アウトにするルールの他に、故意落球という名目の下この触球を省いて例外的処置で打者アウトを決めている点がルールの使い分けであり、ダブルスタンダードである。
もっとも、故意落球は容易なダブルプレーを制限してアウトを1つに止める為の規則なのだが、その目的もおかしい。ダブルプレーが簡単に成立するのは、内野手の守備範囲なんかに打球が飛んだからで、そのような価値の低い打球を打った打者が悪いのである。野手の隙間を狙ってボールを落とすとヒットになる確率や打球の価値が高まるが、故意落球になるような打球は明らかに打ち損じ、1塁走者は2塁で封殺されて当然である。逆に言うと、投手は気迫の剛球・巧みな投球術でダブルプレーに打ち取ろうとした努力が報われて内野手の守備範囲に打球が飛んだ訳で、投手の勝ち、打者の負けである。凡打でフォースプレーのチャンスなのに、1塁走者がそこから保護される生きるのなら、それは攻撃側に有利な差別であり打者敗北の結果と矛盾している。打球が地面に落ちれば、1塁走者は2塁封殺の対象になるのは野球の基本かつ当然の話である。4→6→3のダブルプレーなどは過去に幾多とある正当プレーである。つまり、故意落球が正当なら、ボテボテのセカンドゴロでも1塁走者は封殺から保護されるという理屈が通る。
ダブルプレーが嫌なら、避ける方法は幾らでもある。投手との勝負に勝ち、自らの打撃技術でホームランを打てばそれで良い。ホームランが難しくとも、ヒット、素早い走塁、外野フライ、バントなどでもダブルプレーを回避できる。
故意落球と似たルールにインフィールドフライというルールもあるが、これも同様、合理性に欠く、ダブルプレーを規制しようとする目的が変。廃止にすべきである。
故意落球やインフィールドフライを定めたとしても、(容易く捕れるのに)わざと打球を落としてダブルプレーにする事はある。バントの小フライがその典型例である。1塁に走者が居る場面で、バント打球が浮き投手の近くにボールが来ると、それを投手はショートバウンドで拾い2塁に(遊撃手に向けて)送り、1→6→3のダブルプレーになる事はある。現行ルールだとこれは正当である。これを姑息とか卑怯とかズルイなどといった意見も聞くが、規制したければルールを変えてそうすれば良い。この1→6→3ダブルプレーが正当な状況下で、故意落球やインフィールドフライが何の意味があるのか、ただただ疑わしい。単に合理性や一貫性を欠いたダブルスタンダードであって、これが野球規則立法者の盲点になっていると考えれば、辻褄が合うのだが。
野球のルールは概ね合理的だが、若干の汚点を含んでいて、まだまだ改善の余地を残している。容易く捕れるのに、わざと落として守備側が得する事は他にもあって、それも汚点のひとつである。3塁に走者が居る場面で、レフトにファウルフライが飛ぶと、(容易く捕れても)左翼手はわざと落とす。捕ると犠牲フライになって失点するからである。落として、或いは、内向きの風などで進路が代わりフェアになりそうならグラブで叩き払ってファウルにして、3塁走者の進塁を阻止しているのである。簡単なフライを確実に捕り、難しいフライも如何にして捕るかが重要なのだが、捕るか落とすかを左翼手は選んでいる。落とす事に選択の余地があるのは、野球としておかしい。
野球は、ボールを捕ると得をして、逆にボールを落とすと損する競技であるべきだ。逆に言うと、捕球で損して落球で得するなら、野手の怠慢や守備放棄・消極性が正当化される訳で、野球は競技やスポーツとしての価値を失う。(捕球は善、捕球は美、捕球は正義、捕球は賞賛)ー(落球は悪、落球は汚、落球は邪義、落球は叱責)これが野球である。わざと落とすのは守備側の勝手なのだが、それをやると攻撃側に有利になるように(=守備側が苦痛を受けるように)処置を定め、守備側の自発的損害になるようルールを吟味して整備する事が大切である。これが野球のルールの合理性であり、ボールを追い掛けて地面に着く前にグラブで受けとめて掴もうとする野手の積極的姿勢をこれで保証するのである。
打球の質・捕球点(落下点)による分類が甘く、どのような打球も捕球で打者がアウトになると安直に一括りしているところが、現行ルールの問題である。内野フライと外野フライでは、飛距離が大きい分だけ外野フライの方が高価であり、相対的に処置を差別化すべきである。犠牲フライを考えると、その差が分かり易いだろう。音の響きを考えても、内野フライより外野フライの方が「カキーン」した響き良く快音である。また、邪飛だと落としても守備のやり直しが効く分、価値が低い。打球の質(捕球点)による差別化が課題である。
内野飛、もしくは邪飛を捕ると、先行の走者が2名アウトのダブルプレーとするよう、ルールを改めるべきである。満塁なら、3塁走者と2塁走者が死に、走者2塁1塁から再開。塁上の走者が2名ならば、その2名が死んで走者1塁から再開。塁上の走者が1名ならば、走者と打者が死ぬ。走者が空なら打者が死ぬ。
内野と外野の境界線も現行規則だと曖昧なので、数字を用いて明確に決めた方が良い。例えば、本塁から直径150フィートのエリアを内野と定める。
このルールだと、ほぼ確実に捕球が報われる。わざと落としてトリプルプレーなどが出来てもっと得するかもしれないが、走者はリタッチの義務から開放されてエンドランに近い形で塁を飛び出すので、封殺は難しい。
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