ローマ人が造った街

名高いジュリアス・シーザーが、ローマ軍を引き連れて初めてイギリスに渡ったのはBC55~54のこと。

 

その後、長年に渡り、徐々にイギリスの深部に侵略が進み、それがチェスターに及んだのはAD70年代初頭だったという。そう、ここチェスターは、ローマ人によって築かれた要塞都市だったのだ。

 

塩野七海の『ローマ人の物語』にはまって、にわかローマ・フリークとなった私にとって、チェスターはこの上なく魅力的な街となった。

「グロブナー博物館」で見つけ絵。当時の戦いってこんなだったのだろうか? 数の多さでなんとも迫力がある一枚だ。

 

  ② 入り口でローマ兵が迎える「グロブナー」博物館

 

電車で来てもバスで来ても、旅行者がまず目にするのは、街を取り囲む城壁である。これは79ADに、5千人~6千人のローマ人部隊によって建てられた要塞だ。修復を重ねたにしても、これほど原型をとどめているのは、イギリスではここだけだという。

③                                                               

    

③の図は建設当時の要塞を再現したもの。左下には円形劇場と風呂の遺跡がある。その一部のレンガや、モザイクのタイルが残っており、旅行者の人気スポットとなっている。

 

④の地図は現在のチェスター市内のもので、赤で囲った部分が現在の街の中心部分(②の建設当時の面積より、4割ほど広い)。青で囲った部分はバスが一巡できる主要道路だ。

 

街の周りを包み込むようにディー河が流れており、アイルランドの海につながっている。道路の整備が不十分な陸路より、遮るもののない海路が重視された時代のことだ。おそらくこの地形によって、チェスターが要塞都市としてローマ人に選ばれた理由ではなかったか。街の中心部を走る道路は、Water Gateと呼ばれ、まっすぐに海へと向かっている。

 

主要な観光スポットは、全て徒歩で回ることができる。まずは、城壁を歩いて一周することだ。信号に遮られることもなく、1時間もすれば、街の概要がバッチリ頭の中に入る。時々、手をつないでやってくるカップルに道を遮られる--という障害はあるが。

 

      

左は街につながる道、右は城壁をめぐる道    ⑥城壁の歩道の真ん中にある時計台

 

  

 ⑦ ⑥の時計台の位置から見下ろした街の風景 向こうはWater Gateに続く道

 

城壁の一か所には、明らかに他の素材とは異なる石で修復された箇所がある。ピューリタン革命(1642-49年)の折、王党派についたチェスターを、クロムウェルの軍が攻撃した跡だ。長年、鉄壁を誇ったこの城塞も、大砲が発明された時代になっては、ひとたまりもなかった。二年間の籠城の後、食料が尽きて降伏したという。

 

 

⑧ 城壁を攻撃するクロムウェル軍

 

⑧の写真の解説には「この個所からクロムウェルの軍が攻撃した」とあった。下から城壁を仰ぎ見るこの個所は、かつて「ローマ庭園」とローマ式風呂があった場所でもある。

 

横ではローマ兵に扮したおじさんが、小学生相手に、えらく威張った調子で号令をかけたり、武器の使い方のデモンストレーションをしたりしていた。

 

以後、こんな風なローマ兵とは街の至る所で遭遇することになるが、それはまた、後ほど。

 

⑨ 小学生を特訓(?)するローマ兵