ヒワはアムダリア川の賜物

"Egypt is a gift of Nile."(「エジプトはナイルの賜物である」)と言われるように、このヒワも、まさに「アムダリア川の賜物」であった。

 

長い年月をかけて砂漠が地形を変えていったように、アムダリア川もその流れを変え、その下流に位置したヒワの街に、豊かな水をもたらした。その結果、衰退した古い都市に変わってこの地が新都に選ばれることになったのだ。おかげでその後は、シルクロードの中核となって栄えていった。

 

それまでオアシスの小さな街だったヒワは、その経済的な繁栄によって、モスク、ミナレット、マドラサを次々に建設し、一躍、イスラムの聖地となっていった。

 

当時の繁栄を象徴するもののひとつがミナレット(尖塔)だ。狭い城内に6つもあるというミナレットの内、特に名高い2つを紹介しすると----。

 

まず、内城一の高さを誇るのは、イスラム・ボジャ王のミナレット。干しレンガの黄土色に、青の濃淡のタイルという色遣いが特徴的だ。

 

  イスラム・ボジャのミナレット

 

もう一つの名物ミナレットは、頭の部分がちょん切れた未完成のもの。建設を命じたムハンマド・アミン王が、ペルシャとの戦いのさなかに命を落としたため、工事が中断されたというもの。もし、完成していれば、残された部分の太さ(?)からみても、内城で一番大きな塔となっていたことだろう。

 

私自身は、ちょん切れた方のミナレットの色遣いが気に入っているのだが、あいにく曇り空で、その美しさが半減しているのが残念。(「ホラズム(太陽)」という名が恥ずかしいゾ!)

 

     

  カルタ・ミノルのミナレット        観光客が去った夕方のミナレット

英雄は極悪人!?

さて、ヒワに繁栄をもたらしたのは、ヒワがシルクロードの中枢となったということだけではなかった。その経済力によって軍を強力にした1800年代の歴代の王たちが、次々と周辺国を侵略し、略奪行為を重ねて得た財宝を蓄積したことにもよった。

 

未完成のミナレットを残したムハンメド・アミンなどは、10度以上もの遠征を行って、周辺の都市を荒廃させている。一国の英雄は、他国にとっては残虐非道な憎むべき敵でしかないというのは、歴史上にあまたの例がある。

 

アレキサンダー大王も然り。ジンギスハーンもティムールもまた、然り。

 

私が宿泊したホテルの廊下には、いくつかの戦いの絵がならんでいたが、いずれも史実に基づいたものと思われる。

 

 

      私が宿泊したホテルの廊下に掛かっていた絵

 

 

  水兵服を着ているところを見ると19世紀ごろの戦いだろうか

 

ティムールは若き日に盗賊の頭として、旅する隊商を襲っていたというが、一国の王となっても、その規模が大きくなっただけで、近隣国への侵略、略奪、虐殺----と、やっていたことは同じじゃないのか。記録によると、戦いの度に、何万という敵兵を、一度に生き埋めにしたり、虐殺したりしたりしているのだ。

 

だから、彼の侵略を受けた地区は(現在ではウズベキスタンという国に統括されてはいても)、かたくなに彼の銅像を建てることを拒否している----とは、ガイド嬢から聞いた話。 

 

さて、ヒワの内城には東西南北と4つの門があるのだが、東門は「奴隷の門」と呼ばている。当時の中央アジア最大の奴隷市場が設けられており、門の内部のアーケードの窪んだところに、奴隷を閉じ込めていたという鉄格子が見える。

 

 

   城門のひとつ          ↑これはどこにあったか 忘れてしまった(スミマセン)

 

奴隷は歴代の王が周辺国を襲って連れてきたもので、彼らはトルコやカザフに売り飛ばされたそうだ。奴隷の中にはロシア人もたくさんいて、彼らを解放するという名目のもとに、1873年には帝政ロシアがヒワに武力攻撃をかけている。この時解放されたロシアの奴隷は3000人に及んだという。

 

過日、この当時の戦いをロシアの女帝エカテリーナ二世の立場から描いたドラマをTVで見たのを思い出した。中央アジアの戦いで傷ついたポチョンキンが、けがの治療のために一時帰国したのだが、その時、エカテリーナが彼を見舞ったことから、ポチョンキンは彼女の何番目かの愛人となり、生涯にわたって、彼女を支え続けることになったというストーリー。(私たちの世代には『戦艦ポチョンキン』という映画が評判で、この珍しいポチョンキンという名は、今でも記憶に残っている。)

 

勿論、ロシア側の「奴隷解放」を名目にした戦いは、表向きのことで、その真の目的は中央アジアの統治であったことは言うまでもない。その3年後の1876年には、ロシアは中央アジアの全土を植民地化している。

 

こうしてシルクロードとして長らく栄えた中央アジアのオアシス都市は、私たちの前から姿を消してしまった----と、言うわけだ。

 

この旅の目的の一つであった疑問(かつて、あれほど高い文化と繁栄を誇っていた「オアシス都市」はナゼ 消えてしまったのか?)は、ここで解けた! ----と言っていいカナ?

 

路上の土産物店のなかに、毛皮の帽子を売る店があった。灼熱の「太陽の国」で、なんでこんな暑苦しいものを売っているのだ?----という疑問は、この地が長らくロシア人の支配下にあった----ということで、充分お分かりいただけるだろう。

 

  

沢山の観光客が、試着した姿を写真に撮り合っていたものの、誰もこの帽子を買わなかった。売り子はこんな「冷やかし」の客にも、勝手気ままにさせていた。

 

シルクロードの商人の末裔は、なかなか鷹揚だ----と知った。