発想を転換し、窮地を脱した人:加藤 九祚( きゅうぞう)氏
 
今回の旅行の際、ウズベキスタン関係の本を何冊か読んだ。その時に、何度か加藤九祚という名を目にした。
 
その名前には忘れられない強烈な記憶があった。
 
しかし、もう40年以上も前のことなので、はたして、私の記憶にある人物と同じなのか----気にはなりつつ、昨夜まで確認しなかったのだが、結果は、まさに「その人」であった。
 
この人のたどった数奇な運命に思いを馳せ、しばし感無量。
 
仕事部屋でくつろぐ加藤さん (2014年、東京・吉祥寺で筆者撮影) 2014年 書斎でくつろぐ加藤氏
 
加藤氏は上智大学でドイツ文学を専攻した。しかし、専門はロシア語とシベリア研究。----私の知る40数年前の彼の経歴は、そこまでだった。
 
しかし、再発見した(?)彼は、考古学者・文化人類学者・翻訳者はじめいろいろな肩書きと、受賞歴を持つスケールの大きな学者となっておられたのだ。
 
 
 
加藤さんの原点はシベリア。
 
1944年、戦況が急迫する中、22歳の加藤さんは満州へ出征。そこで敗戦を迎え、ソ連軍の捕虜となり、シベリアに連れていかれた。
 
抑留生活では、「生命をしぼりとられるような労働の中で」(司馬遼太郎)仲間たちが次々と命を落としていった。
 
しかし、加藤さんは、その過酷な生活を「めったにできないシベリア留学だ」と発想の転換をすることで耐えた。
 
簡単なロシア語の本を手に入れて独習し、ロシア人の話に耳を傾け、ついには簡単なロシア語なら理解できるようになったという。
 
ところが、できるはずのないロシア語が話せるということで、今度はスパイと間違えられて、抑留生活は5年にも長引いてしまった。
 
----と、ここまでの話は、40年ほど前、朝日新聞のコラムに紹介されていたものだ。あまりにも非凡な彼の「発想の転換」に、いまだにそのコラムの内容は、隅々まで覚えている。
 
その後の彼の経歴は、書ききれないほど多彩なので、概略だけ記しておく。
 
捕虜のころ身に着けたロシア語を基盤に、シベリア文化史を研究。
63年に『シベリア史』を出版。
75歳で大阪国立民族博物館教授として定年を迎える。
65歳から考古学に取り組み、70歳を過ぎてから自ら発掘現場に立たれた。
2016年に94歳で亡くなられた時には、ウズベキスタン南部で仏教遺跡を発掘中だったという。
 
  
 ウズベキスタンで発掘作業中の加藤さん
 

カンピルテパ遺跡(ウズベキスタン共和国) 発掘現場

 

加藤さんとウズベキスタンのつながりは、ウズベキスタンがロシア領であり、旧ソ連領だったから----、なんて全くの蛇足だったかな?