4月25日の朝日の朝刊を開くと、色鮮やかな不思議な絵が飛び込んできた。
題して『レパント戦闘図・世界地図屏風』。江戸時代(17C.初頭)に日本人の絵師によるものだという。
「レパントの海戦」は、1565年の「マルタ大包囲戦」)のわずか6年後に、キリスト教世界とイスラム教政界で戦われた海戦である。
「レパント戦闘図」
服装や騎兵の出で立ちから見て、左側はキリスト教軍、右側はイスラム教軍とわかる。
左側の二頭立ての馬車に乗って、緑色の服を着た男性の上には「ろうまの王」(つまりローマ王のことネ)と平仮名で書かれている。右端の灯台の横には「つうるこ(=トルコ)と書いてある。
トルコ側には像までいるぞ。ハンニバルの時代から 戦場では象が盛んに登場するが、ここでも大きな荷物を背負っている白、黒、茶色の象が描かれている。
武器は左側が鑓とマスケット銃、右側は鑓と弓矢。
左右の軍が激突している個所では、手前のトルコ兵は落馬して「絶体絶命」の状況にあり、その向こうではトルコ側の騎馬が2騎、お尻を向けて退却の姿勢にある。
そんなところから、この絵は、明らかにトルコ軍の負け戦であることが分かる。
3,4月にマルタ島を訪れて、マルタの歴史にとっぷり浸って帰ってきた私は、「マルタ島大包囲戦」の数年後に、やはりトルコ対ヨーロッパ連合(スペインやベネチアなど)のこの海戦に大いに興味がそそられた。
それにしても、一体、ダレが何の目的でこの絵を描いたのだろう?
不思議 その1) 闘いは海戦であって、陸では両者が直接ぶつかることはなかったということなのだが(『ローマ亡きあとの地中海世界』によると)、――この絵では明らかに陸が舞台だ。
不思議:その2) 天下が徳川時代を迎えた17C.初頭に、遠いヨーロッパ世界の16C.後半の戦争が ナゼ、日本の絵師によって描かれたのだろう?
不思議 その3) 半世紀ほど前(?)の遠い地中海の出来事が、一体、誰によって日本にまで伝えられたのだろう? (次へ)


