シャーロットタウンの紳士・淑女

 

ある日の午後、目の前をシルクハットの若い紳士が足早に通り過ぎた。背筋をシャンと伸ばして、大股で。

 

ジェーン・オースティンの作品から抜け出したような----例えば『高慢と偏見』のダーシーみたいな----スマートな青年だった。

 

「?」と、その姿を目で追う間もなく、右にターンして建物の陰に入ってしまった。

 

そこはシャーロットタウンの中心地。夏の間『赤毛のアン』の大看板が架かっていた劇場のすぐ横のバス停だ。私は午後の授業を終えて、4時半のバスを待っていたところ。(何しろ夕食は5時。それまでに帰らねば、お叱りを受けるか、夕食「抜き」ということになるので----。)

 

 

先日は、コルセットでウエストを締め上げた若いレディーが、裾のふわーっと開いたスカートをゆらゆらさせて通り過ぎた。

 

以前にも、2,3人の同様の仮装した男女が、何やらにこやかに談笑しながら目の前を通り過ぎたことがあった。

 

その場所で、その時間にバスを待っていると、しばしばこんなビクトリア朝の衣装を身にまとった紳士・淑女たちが通りすぎるのだ。

 

「きっと劇場がはねたので、舞台衣装のまま役者さんたちが出てきたのだろう」----と、回らぬ頭を駆使して、そんなふうに自分を納得させていた。

 

でも、こうしばしば同じことが重なると、遅まきながら別の思考回路が動き出す。「これは、きっと島の観光振興活動(?)の一端では」と。確認はしていないけれど、多分そうだと思う、今は。

 

           

      連邦会議場の横で歌う仮装の男女           岩合さんの猫と馬車

 

京都 VS プリンスエドワード島の観光

 

私の故郷:京都では、ここ数年の観光ブームで、舞妓さんが外人観光客のカメラに追っかけられて悲鳴を上げているという。しかし、彼女たちは現役のキャリアガールなのだから、「だらりの帯とぽっくり下駄」は仕事用の制服(?)なのだ。この島のビクトリア朝の仮装男女とは異なるな。

 

PEIと類似の例を挙げるならば、京都太秦(うずまさ)の映画村を練り歩くという、新選組の仮装をした若者たちみたいなものだろうか。

 

京都では人力車が走っているように、ここでは馬車が観光客を乗せてシャーロットタウンを走っている。

 

PEI島にしても京都にしても、観光業が中心産業となっているところでは、いろいろと楽しい工夫を凝らし、旅行者へのサービスに努めているんだなァ。

 

(PEIの図書館にあった本。島を訪れる日本人の多さについての記事と日本人観光客の写真)

 

 

日本列島改造論が席巻した70年代前後、日本では「高度経済成長」の名の元に「産業開発」「土地開発」が進み、製造業や建築業が勢いづいていた。それは同時に「公害列島」という「災害」もたらしたのだが。

 

その一方で、そのような開発や公害とは無縁だった京都は、清澄な空気と山水の姿をとどめたまま、昔ながらの観光地として静かな時を刻んでいた。しかし、当時の蜷川府政の反対派からは「停滞」というネガティブなレッテルを張られ、批判・攻撃の対象となっていたのを記憶している。

 

京都のそんな事情は、第二次産業の製造業が振るわないままに、観光・サービス業の三次産業へと進んだPEI島と状況が似ている。

 

時は巡って、情報や金融業といったサービス業が中心の現在、世界の先進国と言われる国々の第三次産業は70%を超えて久しいが、PEIや京都は、ずーっと前から「そうだったよ!」

 

「開発から取り残された」と言われ続けてきた都市が、いつの間にか「世界の憧れの地」にランク入りして、産業構造上では、一周遅れの「トップランナー」となっているという快挙!

 

なんといっても観光業は「平和・安全」があってこそ成り立つ産業なのだ。(バッグを無造作に肩にかけて、隙だらけのリラックスした風体で散策できる京都やPEIの環境が「特別」なものである----と知るには、ヨーロッパの街を旅行すれば充分だ。)

 

観光業から上がる収益は、さらなる環境の美化と伝統文化・産業を重んじる政策へと注がれ、それが、いっそう世界中から観光客を呼ぶことになっていく。

 

 

余談ながら、昨秋の嵐山の渡月橋の賑わいは凄まじいものだったそうだ。通常、3分で渡れる橋が、渡りきるのに15分もかかったという。

 

「橋が落ちるのではないかと思った」----とは地元の人の言葉。