キャロルの野良声 7月8日(金)
私のホスト・マザーの声は大きい。少し離れて声を掛けられるときにはさらに大きい。何か注意を発するときには「Don't------」で話し始めるから 怒鳴っているように響く。そのため、時々、ちょっとした注意を受けても、叱られているような雰囲気になるのが少々困りモノだ。
そんなキャロルは、今日も芝生に水を撒きながら、お隣さんと大声で話していた。その姿は、小学校の時、国語の教科書で学んだ山室静の詩を思い出させる。
農家の少年が、夕方、雨戸を繰りながら「あした、また 遊ぼうや!」と声を張り上げると、向かいの家の少年も「遊ぼうや!」とこだまのように応じる----というような詩だった。
昔の日本のどかな農村の風景。そんな交流が、まだ、ここには残っているのだ。
庭を挟んでお隣さんの裏庭 テラスでくつろぐキャロル&ファクシー
それぞれ200坪以上はあると思われる裏庭と、それを囲む高い木々。ガレージと地下室と木造のテラスを備えたシャーロットタウンの住環境は、ため息がでるほどウラヤマシイ。「これこそが人間が住む環境というものだよね」----と、同国の若者たちと語り合う。
今でもジャガイモと魚介類が主な生産物で、観光業が一番の産業というこの島のGDPが、どれほどのものかは知らないけれど、カナダ全体のGDPは世界第10位。日本は3位とある。それが逆に、一人当たり「所得ランキング」はといえば、カナダ12位に対して、日本は17位だ(2016年度)。
ならば、GDPなんてクソクラエ!だ。
いまだに、GDPは「豊かさの指標」のように捉えられ、新聞の見出しをにぎわせているが、GDPはそのまま「社会の豊かさ」と結びつくものではない。GDPに代わって社会の豊かさをはかる指標として、「教育、寿命、所得」を総合的に評価するHDI(Human Development Index)というものを、1990年から国連開発計画で作成しているという。(*1)
「保育園落ちた。日本死ね」といったメールが瞬時に全国を駆けめぐり、保育園不足が議題に上る一方で、子供の声や送り迎えの母親たちの話し声がうるさいからと、住民による保育園建設反対といった住民同士の対立などは、豊かな空間と人間関係を持つ ここでは起こりえない。
熾烈な経済競争からは取り残されたかに見えるこの島だが、その日々の生活の豊かさは、一応 中流と自認している私が経験してきたものの比ではない。
これまでの3週間を、やはり中間層と思われるシングルの高齢者の元で暮らしてみて、しみじみそう思う。
生活の質が異なることは、これまで縷々述べてきた通りだ。----ゆったり流れる生活のリズム。一日における余暇の多さと、その過ごし方の多様さと健全さ。そしてご近所との結びつき、コミュニティーの行事の多さ。
日本では、経済がピーク時の物質的な豊かさに、精神的な文化の成熟が追いつく前に、経済がポシャッテしまった。(大阪で伝統的な文楽の予算が削られたことは、まだ、私たちの記憶に新しい。)
再び「声の大小」にもどる。 お隣さんの家
その昔、「野良声」は畑で働く人たちの大きな声を指し、都会の上層階級の人たちから蔑まれた。貴族の姫君たちの話し方には「大きな声で話すな・丁寧な言葉を使え・漢語を使うな」という規範があったという。
今日、オフィスの閉ざされた空間で交わされる会話は、大声である必要はない。第一「大きな声」は他人の仕事の邪魔だ。しかし、広い空間で、始終海からの風に吹き飛ばされるここでの会話は、自然に大声とならざるを得ない。
そのうち、私もホスト・マザーの「Don't-----」に慣れる日が来るのだろうな。
(*1)『大人のための社会学』有斐閣 2017年 井手英策他


