一度火がついたら人間を殴ることくらい何でもないと思っていたのに、存外と一発振り切っただけで急激に熱が退いていくのを感じた。
顔面を殴り付けた際の生々しい感触が右拳をじりじり痛ませる。思いっきり殴るとこっちも痛いのだと初めて知った。拳を何度か開閉して違和感を確かめてから力を抜く。テンションが上がっていて、ただの一発殴っただけなのに息が上がっていた。拳だけでなく身体中が熱い。ブレザーは暑いし重いし脱ぎ捨てたかったが、そんな余裕はなかった。
身体とは正反対に冷えていく頭が冷静に眼前の景色を捉える。学校の廊下。自分のクラスの前。状況に対して環になって傍観するギャラリー。目の前に尻を着いた男子生徒。頬を押さえ涙を流し、情けない声を細々溢している。口元には血を窺える上、周辺に歯が数本転がっていた。なんなら顎の骨にひびでも入っている可能性すらある。相当痛いのだろう。最早相手に反撃の意思はないようで、立ち上がろうとすらしていない。
僕は白けてしまった。
「なんだ……こんなもんか」
遠くから飛んできた先生の怒号が駄目押し。完全に脱力してしまった身体に僅かばかり力を入れて、ゆるりと両腕を持ち上げた。所謂降参の姿勢。駆け寄ってくる足音を耳にしながら思う。
僕って、結構常識人なんだなぁ。
「ほら、僕ってこう見えて感情的だからさ。勢いで人とか殺しちゃうんじゃないのって心配してたんだけど、全然大丈夫みたい」
長いお説教から解放された僕は清々しい気持ちで親友に安堵の程を語っていた。が、親友はとても連れない無愛想な表情で紙パックのコーヒー牛乳を飲み続ける。
まぁ、いつもこんなものなので構わずに話し続けることにしよう。
「っていうか普通に気持ち悪かったし……人殴るのってあんな気分悪いもんなんだなあ」
じゅるじゅるじゅる。
音から推測するに中身はもうないはずだけれど、これは何かのいじめだろうか。考えたくない疑念が頭を過ったが、考えたくないので考えないことにする。
「止めに入ってくるまでは絶対殴り続けるだろうなって思ってたのに、すぐ冷めちゃってさ。拍子抜けっていうか――」
コトン。
決して派手な音ではないが、明らかに僕の言葉を遮るため意図的に鳴らしたものだった。意図に逆らわず口を閉じると、そっぽを向いていた親友の視線がゆっくりこちらに向けられた。臆病な僕は本来ならここで目を逸らしてしまうところだけれど、気心知れた親友相手。正面から向き合う。
「整理、ついた?」
親友の口からとても優しい呆れ声が漏れて、僕は恥ずかしさに地面に伏してしまいたい衝動を必死で堪えた。
こいつは僕の心中察していながらなぜこうも言葉を選べないのか……。
「別にそれでもいいけどさ。彼女の前でもそうしてるつもり?」
「うっせ、黙れ。人の彼女に対して彼女って二人称を使うんじゃねー」
「口調荒れてる」
「誰の所為だ……っ!」
言ってしまってから、親友がにやにやした顔を向けてくるので、僕は大人しく「自分の所為です」と撤回し声色を落ち着かせた。落ち着かせようと努力した。
「でもやっぱり感情的だよね。普段あんなに頭回るのに、なんでどうとでもなるとこで外すかなあ」
「自分で動こうとすると処理がおっつかないんだよ」
「経験値が低いんじゃない?」
「お前さっきからわざと俺を怒らせるように、」「一人称変わってるよ」
「………………はぁ」
嫌な親友を持った。
「僕のミスは隠蔽するべきかな」
「正義感の強い君に隠し事は難易度高いんじゃないの。相手が相手だし」
「……じゃあ結局泣かれに行くしかないんだ」
「いや、もう泣いてたし」
「は? なんで?」
「また素が……ま、君はやっぱり変なところ鈍感だよね」
僕のことに僕より詳しそうな僕の親友は、しかし答えをくれたことなどただの一度もない。親友は親しみを持っていようと親切ではないのだ。だからまた、とても投げやりなことを言ってきやがった。
「会って確かめてくればいいよ。大切な彼女だろ?」
大切だから難しいんだ、色々と。
呑み込んで溜め息に変えた。
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ものすごい突発SS。
なにも考えず文字を走らせてたらまさかのまとまらなかったよ!
次回に続きます(多分)。