#736『高村光太郎』
大正、昭和を代表する日本の彫刻家であり、詩人でもある高村光太郎。
代表作は「道程」や、妻・智恵子との愛を唄った「智恵子抄」などがあり、
教科書にも多く作品が掲載されている。
詩人としての印象が強いが、彫刻や絵画も多くの作品を残している。
そんな光太郎の父は、彫刻界の巨匠・高村光雲である。
光太郎にとって、父・高村光雲は偉大な存在であった。
だが、東京美術学校彫刻科で学んだ光太郎は、
芸術家向きではなく、職人的な光雲のやり方や考え方に反抗するようになる。
24歳の頃、ニューヨーク、ロンドン、パリへ腕を磨きに留学をする。
しかし帰国後、日本の彫刻界に不満を持ち、さらに光雲にも反抗し続け親子の溝は深まり、
東京美術学校の教職も断ってしまう。
そんな自由に生きた光太郎であるが、放任主義が光雲の教育方針であった。
光太郎の留学も、最初は反対し渋っていたが、最期は許してしまう光雲だった。
光雲は子供たちに「いい作品を作ることだけを考えろ」と常々言っていた。
反抗しながらも光雲の影響を受けていた高村光太郎のプレミアムワードがこれである。
「彫刻は私の血のなかにある」
どれだけ反抗し避けていても、親の影響は受けてしまう。
親とは、そんな存在なのかもしれない。
放送作家 石川心水
ウノプロダクション株式会社
#734『啐啄』
啐は雛がかえろうとするとき、殻の内側から突つくこと。啄は母鳥が外側から殻を突つくこと。
つまりこの二つが揃うこと、
またとない機会であると言うことです。
感動しました。日本語とは本当に美しいですね。
写六家
放送作家集団ストレンジャー
http://www.unopro.co.jp
放送作家育成プロジェクト2008~2015(事務所&全実践)
http://www.unopro.co.jp/housousakka_prj.html
#733『カラオケとインドリ』
最近、カラオケに行く機会が多い気がする。
年に1回行くか行かないかの自分にとって、
ここのところの月1回ペースは異常だ。
まぁ、好きではないが、毛嫌いするまででもない。
機嫌が良ければ鼻歌も混じるし、テレビを見ながらCMソングも口ずさむ。
そんな私とは違い、「歌わにゃやっとれん!」
と言わんばかりに、毎朝熱唱を繰り返すヤツらがいる。
「インドリ」
マダガスカルに生息する白黒のキツネザルだ。
毎朝8時ごろ、日課の日光浴で体を温め、
ポカポカで気持ちよくなってくると歌い出すのだ。
1匹が歌いだすとそれに釣られ、周りの仲間も歌い出し、気付けば大合唱に。
3km先まで声が届く声量の持ち主、
近所に住んでたらもれなく迷惑オヤジと呼ばれる存在だ。
名前の由来は、
現地語の「ご覧ください」を学者さんが名前だと勘違いしたらしい。
カンガルーの由来「私は分からない」と、
かぶってると指摘を受けそうだが、そんな時は歌ってごまかそう!
困ったときはモヤモヤ
ンな時ゃ歌ってウヤムヤ Yo!
歌って素敵ですね。
放送作家 戸武来酢
ウノプロダクション株式会社
放送作家集団ストレンジャー
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放送作家育成プロジェクト2008~2015(事務所&全実践)
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