ゴールデンウィーク中はレコード屋へ毎日出勤していたが、
最終日6日が休みで、山本昌さんが横浜で登板する日に当たったため
前夜から6日の朝まで新宿で呑み続けてそのままハマスタへ向かった。
もはや勝負内容を通り越して、視界にいらっしゃるだけで涙が出てしまう。
この日は浜風に押され、遠目に見ても球が高めに浮いていた。
打たれた昌さんに涙、本塁打を打ったブランコにまた涙。
半日以上呑み続けていたためか涙もろくなってしまっていた。
なにやら慰めてくださった隣のおじいさん、ありがとう。
そして昨日は地元豊橋の市民球場でしっかり勝利してくれた。
中1-0ヤ と、得点力の課題は一旦脇へおくとして、
山井さんが0封したことに大きな進展を見た。
「こっちは中継やっとるよ。市民球場満員だって!」
祖母のメールで何故か涙ぐんでしまった。満員。これほど温かい状況があるだろうか。
地元を埋めたファンのみなさん。あなたがたは家族です!
ところで、野球と恋愛は似ている。
以下に挙げる話が「恋愛」といえるかどうかによると思うが。
まずは打席から。
私は直球よりも変化球を攻略して出塁したいと考える性質だ。
直球でガンガン押してこられた場合は、ひたすらファウルを打ちまくって粘る。
勝負球がストレートのみというタイプは、
相手が「いや~ん、早くて打てな~い」と可愛く折れてくれるのが好きなのではないか。
何球でもファウルにしてあげるから、疲れたら次の投手と代わってね。
時々打つ方向で失敗してキャッチャーフライに斃れたり
ズバッと見逃し三振を取られることもあるけれど。
走塁は、進行中の状況にたとえやすい。
それは盗塁のようなものだ。
「盗」の字がつく言葉だが、なにも人様の誰かを盗むことを言っているのではない。
相手に隙があれば、すぐに次の塁を狙う。
その塁にとどまるほうが、安全で順当なやり方であっても、
走ったらもっと合ったところに落ち着ける可能性がある。
普段から、ギリギリのところで飛び出す機会を窺っているあの感じ。
エンドランも同様。
胸を張っておすすめできることでは全くないが、状況がそっくりではある。
いつも走塁コーチのように(呆れつつも)助言してくれる友人たちに感謝している。
ただひとつ野球と違うのは、
走っても走ってもホームベースを踏んでいないこと。
何塁まであるんだ??
30塁分くらいは走ったような気がするのだが。
次がやっと本塁というところで塁を飛び出して刺されたり、
犠牲フライで生還しようとすれば相手に素早く返球されて、本当に犠牲が無駄になったり。
しかし、本塁を踏んで満足するかというと
今はそうとはいえない。
野球ならば追加点を取りにいけるが、人生これでゲームセットとなるのはあまりにも惜しい。
それが勝ちだとしても、ゲームを終わらせるほどの価値のある勝ちだろうか?
最後は泥だらけになって本塁へ激走できるのだろうか。
…という具合。
そんなに悩んでいません![]()


