今朝、電車に乗っていて、たまたま座れたのだけど、ふと膝の上に組んだ手の甲に風というほどでもない生暖かい空気の流れが通り過ぎていくのを感じたのです。そこで、ふと皮膚感覚というものについて考えたのです。


こういう事で思い出すのは、ある雑誌で読んだ話です。

とある銭湯で、代々使っていた薪のボイラを、ガスボイラに換えたそうです。新しいボイラでお湯を沸かして、朝に開業してお客さんを入れたら、お湯に入るなり常連のお爺さんが番台の店主に言ったそうです。


「今日のお湯は、やけに堅えけど、どうしたんだい」


このお湯が堅い・柔らかい、という皮膚感覚は凄いとその記事は言っていまして、読んだ僕も、成程凄いものだ、と思ったのです。当然ながら水質は一緒なのです。


暫くして祖母に会う機会があったので、この話をしてみました。

祖母の家(つまり母の実家)は、もう廃業してしまったけれど、昔、温泉旅館を営んでいたのです。


この話を僕から聞いた祖母は、驚きもせず、当然の様に


「ああ、そうだよのお。ガスだとお湯が堅えんだよのお」


と言ったのです。この反応は僕を更に驚かせました。


ひょっとしたら僕らは、先代の人達が当たり前のように持っていた皮膚感覚を、現在の生活の中でどんどん失っているのかも知れません。

ちょっと考えただけでも、四季の感覚や、土を踏みしめる感触、雨や風の匂いや、雪の暖かさ....色々な事が、あいまいな記憶の彼方に消えて行きつつある気がします。もう判らなくなってしまったことが意外と多いのかも知れません。


これらは、具体的にどんな弊害をもたらすだろう?次回もう少し考えてみます。